浮世絵イメージ
  • 豊国漫画図絵 日本左衛門
  • 豊国
  • 国会図書館所蔵
    • 江戸の警察はたったの12名 ~同じ時期、ロンドンの警察は3,235人~

      江戸時代の庶民は、がんじがらめに縛られていた…私たちはこのように教えられました。  しかし、実際は、江戸の警察(捜査担当の同心)は、天保期~幕末(1830~1867年)で見ると、隠密廻が2名、定廻が1~5名、臨時廻が5~7名の8~14名、南北合わせても16~28名しか居なかったそうです(江戸時代館<小学館>)。これらの同心には、十手をもった目明しが、同心の私的使用人として各々5人ついていただけでした。

      一方、石川英輔氏によると、1829年のロンドン警視庁には警察が3,235人も居て、統治が行き届いていたそうです。 江戸が、30人にも満たない警察で治められたのは、10両以上盗むと死罪、放火も死罪という厳しい掟と、泥棒との司法取引があったことと、庶民の日常が、目明しの親分や大家さんなどを世話役とする、庶民の自治によって切り盛りされていたからなのです。

      なお、目明しの親分は、悪の裏街道に通じた前科者が多く、“蛇の道は蛇”で、探索活動に従事していました。同心から貰う手当ては小遣い銭程度で、とても生活できませんが、通常は、内職や小店を持ったり、口利きや方々からの付け届けなどで、生活に困ることはなかったようです。中には、職権乱用?恐喝まがいのような事をする悪も居たようです。