未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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最高級の糖度の秘密

花き栽培の技術が実を結んだ、マンゴー栽培

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.99 |25 September 2017
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#3一代で園芸農家を築く

「百姓を継ぐのは嫌だったんだよね、土日はきちんと休めて、平日9時から5時まで働くというサラリーマンみたいな仕事がしたかったんだ」と笑う保田さん。代々この小美玉の土地に住む保田家は、米やサツマイモを作る農家だった。6人兄弟の末っ子で、二人の兄は役場や会社などに就職し、早々に家を出てしまっていたので、保田さんは父親から後継ぎになってくれることを切望されていたという。そして高校卒業後、茨城県内にある農業を担う人材を育成する学校「鯉淵学園」(現在の鯉淵学園農業栄養専門学校)に入学する。
 当時の農業は今よりもずっと天候に左右されやすく、一日中、そして一年中休みなく働かなくていけない、そんな仕事だった。そうではなく、もっと近代的な農業がやりたい、そう考えた保田さんは、米ではなく、その頃まだ新しかった園芸の道に進むことに決めたのだった。それまで社会にとってさほど需要がなかった花き栽培は、当時、高度経済成長の波に乗って、都市部の生活の潤いを満たすものとして需要が増え始めていた。保田さんは、そこに目をつけたのである。
 保田さんは卒業してから、花の生産の本場である埼玉県の園芸農家で、三年ほど住み込みの研修生として修行した。有名な園芸農家のもとで、来る日も来る日も花に水をやり、ハウスの温度を管理する修行の日々。研修は厳しかったが、ここで園芸の基礎をバッチリと仕込まれた保田さん。何人かいた研修生の中で、今もずっと園芸農業を続けているのは、保田さんただ一人だという。

 そして茨城に帰った昭和45年(1970年)にしつ子さんと結婚。22歳と20歳という若いカップルだった。
「3年間は二人でずっと、ポットマムばかり作ったよ」と保田さんは言う。ポットマムとは洋菊の鉢のことで、当時、流行の鉢物だった。茨城といえば日本有数の農業県だが、当時の園芸、特に花き栽培は、農作物に比べると遅れていて、現在のように大きな産地ではなかった。そうした中、保田さんは茨城県内でいち早く温室を作り、ポットマムの生産を手がけたのだった。

 花の生産は天気には左右されない。ハウスの中での徹底的な温度と水の管理がものをいう。「花の栽培は、花に対してどれだけ細かく気がきくか、どうかなんだ」と保田さんは言う。
 その頃はまだ県内では花の栽培を始める生産者はほとんどいなくて、「うちは一匹狼のような存在だったわねえ、あの頃は」としつ子さんは言った。

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未知の細道 No.99

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。