
取材当日、大宮駅でサーンさんと待ち合わせをし、10年ぶりの再会を果たした。懐かしい思い出が蘇りつつ、昨日会ったばかりのような感覚にもなる。
「ラオスは中国からの新幹線が通ったんだよ」
「へえ~。便利になったねえ」
などと、ラオスの時事ニュースで盛り上がりながら我々の旅は始まった。時間に余裕があったので、海老名市で腹ごしらえをしてから向かうことにした。
調べてみると、愛川町は車がないと不便なようだ。昼食後、レンタカーを借りラオスのお寺「ラオス文化センター」を目指す。
「日本に来て車で旅行するのは初めてだよ!」
サーンさんは見るからにはしゃいでいた。動画を撮りまくっている。マスクの上からでも喜びが伝わってくる。ところがその30分後、車内の空気は激変することとなる。
私は高速道路の分岐点を間違え、愛川町方面と逆の東京方面に向かってしまった。レンタカーに慣れていない私は、カーナビをうまく操作することもできない。綾瀬を過ぎ、町田が近づいてきている。完全に逆方向である。手汗でハンドルが滑る。慌てているうちに気づけば取材の開始予定時刻からもうすぐ1時間がたとうとしていた。約1時間半前に海老名でレンタカーを借りたときは25分で着くとカーナビが教えてくれていたのに……。
助手席に座っていたサーンさんは、「やばいやばい」と焦りすぎて挙動不審になっている私のほうを見ないように、穏やかな顔をしてまっすぐ遠くの景色を眺めている。
「乗った船には沈むまで乗り続けるよ」
ラオス風の励ましのようだ。とりあえず取材先に事情を説明した。
「今どの辺りですか? 用があるラオス人の人たちは帰ってしまいました。私ひとりになっても待っていますから安全運転で来てくださいね」
申し訳なさに胃が縮む。携帯電話のスピーカーから聞こえてくるとても流暢な日本語。私は「すみません」と泣きそうになりながら、「やってしまった……」と、焦りばかりが募っていた。とにかく安全第一に急いで到着し、代表のお話だけでも聞かせてもらおう。
愛川町に入った。すでに約2時間遅れ。山へ向かって車を走らせる。本当にこんな所にあるのかな、と不安になったとき、突然ゴールドな異空間を発見。どうやら到着したようだ。
ほっと安堵したのは、一瞬。大遅刻で取材先に行くのは初めてだった。手が震えている。 金色のど派手なブッダを横目に玄関の戸を開ける。気まずい雰囲気になるのを覚悟した。
「遅くなって申し訳ありません!!」
謝罪をし、入るなり頭を下げた。怖くて顔が上げられない。
「遠いところよくいらしてくれましたね。どうぞどうぞ」
穏やかな声にはっとし顔を上げると、在日本ラオス協会の会長であるビルンラハ・ピンマチャンさん(以下ビルン会長)んが笑顔で迎えてくれていた。
お寺に入った瞬間にラオスへワープした気分に陥った。時間の流れが急にゆったりになるのを感じる。
回りには、オレンジ色の袈裟を着たお坊さんを含め9人のラオス人がそれぞれに作業をし、ニコニコと「サバイディー(こんにちは)」と声をかけてくれた。
遅刻したことなどなかったかのように柔らかな空気が流れていた。
日本人の父とラオス人の母を持つ20代前半の男性が、缶コーヒーとお茶をお盆に入れて出してくれた。照れくさそうに溢れんばかりの笑顔を浮かべている。