未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
55

東京の森で深呼吸をしよう 「東京最後の野生児」と歩く
奥多摩

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.55 |20 Nobember 2015 この記事をはじめから読む

#3鳥の声が聞こえますか

 真っ黒に日焼けした土屋さんは、想像していた通りに、優しそうでほんわかした人だった。少年らしい面差しをしているものの、礼儀正しく、見た目からは「野生児」という感じはしなかった。
「じゃあ、まずは渓谷に行ってみましょうか」という言葉にハッと慌てた。
 その日に限って私は、なぜかトレッキングシューズはおろか、スニーカーすら履いておらず、デッキシューズで来てしまっていた(アホか)。彼のハードな山歩きについていけるか急に不安になる。すると彼はこう言った。
「大丈夫ですよ〜。僕が目指すのはハイキングではなく、五感を研ぎ澄まさせること。奥多摩の森を使って、感覚や身体を開くアシストをします。だから普通のネイチャーウオークとは違います。さっそく歩きましょう」
 駅から歩いてほんの3分で、激しく水しぶきをあげる清流が見えてきた。多摩川だ。川沿いには緩やかなトレイルが伸び、惜しみなく降り注ぐ清々しい日差しと、渓谷から湧き上がる涼風に包まれた。
 おおぜいの人がハイキングをしたり、お弁当を食べたりして、それぞれの休日を楽しんでいる。ラフティングをする若者たちは、早い水の流れに「わー!」「きゃー!」と声をあげた。
 しばらく歩くと、大きな橋にさしかかる。橋の上では、お年寄りの夫婦がゆったりと写生をしていた。誰もかれもが、好きなように時間を過ごしている。駅を降りて5分でこれは、すごいなあと圧倒された。ここは、どこだ!?
 呆然とする私の横で、土屋さんは「あ、いま鳥の鳴き声が聞こえますか?」と聞いてきた。私はあわてて耳を済ませたが、激しい水しぶきの音以外にはなにも聞こえなかった。
「きっと帰る頃には、だんだんと聞こえるようになってきますよ」


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未知の細道 No.55

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。