未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
55

東京の森で深呼吸をしよう 「東京最後の野生児」と歩く
奥多摩

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.55 |20 Nobember 2015 この記事をはじめから読む

#4巨木に触れて

 橋を渡ると、喧騒がすっと遠ざかった感じがした。あ、森の世界に入ったのだと私にもわかった。見事な巨木が連なり、緑のカーテンが頭上にふわりと広がる。
「ほら、触ってみてください」と促され、幹に触れてみる。樹齢はたぶん数百年はくだらないだろう。
 見た目はボコボコとして堅そうなのに、実際は柔らかく、ほんのりと温かかった。その温かさを手のひらに感じた時、唐突に「あ、生きているんだ。木は生き物なんだ」と感じた。

「なんでも触ってみると、見た目とぜんぜん違ったりするんですよ。トゲトゲして痛そうに見えるものも、実は柔らかかったり」
 ほら、と落ちていた松の葉を手渡してくれた。トゲのように見えたので、おそるおそる手を出す。すると、手の平でぎゅっとつかめるほどに柔らかい。本当に見た目と違う。
 なんだか面白くなり、色々な草花や木の実に触れながら歩いた。高級シルクのような手触りの葉っぱや、甘酸っぱい香りがする木の実を見つけた。  世の中の全ては、実際に体験してみたいとわからない。そうだよなあ。私はちょっと反省してしまった。テレビやネットで見ているうちに、見知らぬ場所や誰かについて、ついつい分かったような気になってしまう。そうやって、生の感覚ではなく、頭ばかりを使って生きることで、人類は実はどんどん退化しているのかもしれない。
 ふと、土屋さんが立ち止まった。空を見上げ、口笛で鳥のさえずりの真似を始めた。それは細く繊細な音だった。しばらくすると、「ほらあそこ、見えますか?シジュウカラが来ましたね」とはるか高い枝を指さした。よく目を凝らすと確かに二匹の鳥がこちらの様子を伺っている。耳だけじゃなく、目もいいんだなあと驚いているうちに、鳥たちは呼応するように声を出し始めた。多いときは十羽以上がやってくることもありそうだ。彼には、「あ、いま求愛してる」とか「怒ってる」とかも聞き分けられるそうだ。私はすっかり感心して、「いつからできるようになったんですか?」と聞いた。
「小さい頃からです。うちの親父もできるんですよ。親父も同じく野生児ですから。ただ高校生の頃は変なやつと思われたくないから封印してましたけどね」
 なぜ土屋さんは、森で人を癒す仕事をしたいと思うようになったのだろう。それを知るには、野生児の源流である幼少時代、そして挫折と混乱の20代にさかのぼらねばならない。

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未知の細道 No.55

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。