橋を渡ると、喧騒がすっと遠ざかった感じがした。あ、森の世界に入ったのだと私にもわかった。見事な巨木が連なり、緑のカーテンが頭上にふわりと広がる。
「ほら、触ってみてください」と促され、幹に触れてみる。樹齢はたぶん数百年はくだらないだろう。
見た目はボコボコとして堅そうなのに、実際は柔らかく、ほんのりと温かかった。その温かさを手のひらに感じた時、唐突に「あ、生きているんだ。木は生き物なんだ」と感じた。

「なんでも触ってみると、見た目とぜんぜん違ったりするんですよ。トゲトゲして痛そうに見えるものも、実は柔らかかったり」
ほら、と落ちていた松の葉を手渡してくれた。トゲのように見えたので、おそるおそる手を出す。すると、手の平でぎゅっとつかめるほどに柔らかい。本当に見た目と違う。
なんだか面白くなり、色々な草花や木の実に触れながら歩いた。高級シルクのような手触りの葉っぱや、甘酸っぱい香りがする木の実を見つけた。
世の中の全ては、実際に体験してみたいとわからない。そうだよなあ。私はちょっと反省してしまった。テレビやネットで見ているうちに、見知らぬ場所や誰かについて、ついつい分かったような気になってしまう。そうやって、生の感覚ではなく、頭ばかりを使って生きることで、人類は実はどんどん退化しているのかもしれない。
ふと、土屋さんが立ち止まった。空を見上げ、口笛で鳥のさえずりの真似を始めた。それは細く繊細な音だった。しばらくすると、「ほらあそこ、見えますか?シジュウカラが来ましたね」とはるか高い枝を指さした。よく目を凝らすと確かに二匹の鳥がこちらの様子を伺っている。耳だけじゃなく、目もいいんだなあと驚いているうちに、鳥たちは呼応するように声を出し始めた。多いときは十羽以上がやってくることもありそうだ。彼には、「あ、いま求愛してる」とか「怒ってる」とかも聞き分けられるそうだ。私はすっかり感心して、「いつからできるようになったんですか?」と聞いた。
「小さい頃からです。うちの親父もできるんですよ。親父も同じく野生児ですから。ただ高校生の頃は変なやつと思われたくないから封印してましたけどね」
なぜ土屋さんは、森で人を癒す仕事をしたいと思うようになったのだろう。それを知るには、野生児の源流である幼少時代、そして挫折と混乱の20代にさかのぼらねばならない。

川内 有緒