再び登計トレイルに話を戻そう。寝転んで空を見上げていると、夕方の独特の日差しの中で高い木々に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。しばらく目を瞑り、森が奏でる音色を聞いていた。いま、ここにいる「人間」といえば私たちだけだ。
鳥の声が聞こえるかと耳をすませたが、しばらくするとどうでもよくなり、またウトウトとし始めた。
700万年前、私たちの祖先は新たな世界を求めて、森に背を向けて草原に進出した。それは、大型捕食動物が跋扈する危険地帯に出たことを意味していたという。そして人類は武器を携え、動物を狩り、己を守るために集団で暮らすようになった。研究者によれば、それ以前に祖先が暮らしていた森は、涼しく安全で、木の実もたくさんあり、とても快適な環境だったそうだ。それでも人間は飽くなき野望に突き動かされ、厳しい環境を選んだ。それは、21世紀に都会に暮らす私たちの姿にも重なる。集団に属しながら、「よりよき生活」を求めて日々忙しい。しかし「忙」という漢字が「心を亡くす」と書くように、その日々は逆に大切な何かをすり減らしてしまうのかもしれない。だからこそ都会人は、かつての安全地帯である森に戻りたくなるのかもしれない。無意識のうちに。
奥多摩の森には、夕暮れが訪れようとしていた。もうすぐ、動物たちの時間がやってくる。いまは姿が見えないが、奥多摩には30種類以上の哺乳類が暮らしているらしい。東京の「住人」はなにも人間だけじゃないことを長い間忘れてしまっていた。
土屋さんは、くるりと私の方に向き直ってこう言った。
「ねえ、僕がやっている仕事って、最高に贅沢な仕事ですよね! 自分はバカなことばっかりやってきた。でも、今はその全てが活きている。石の上に3年いなくてよかったです。人生でいろいろな挫折を繰り返して、今は天職に出会えたんですから!」
私たちは、暗くなる前に森を離れようと再び歩き始めた。1.3キロしかないこのトレイルの終点はすぐそこだった。


川内 有緒