移住から三年目となる2010年も、相変わらず牧場作りは続いていた。底なし沼になるような土地と格闘したり、新しい馬を迎えたりと少しずつ前に進んでいたある日、淳さんに病が発覚した。─―検査の結果は、末期がん。
菅野さんも病院に通い詰め、もう牧場作りどころではなくなった。
「それも原発不明がん。普通だったら、肺とか胃とかがんが発生した場所が分かるんですが、分からないから治療法もない。いろんな薬を試しても全然効かずに、免疫力だけがどんどん落ちていくんです」
もがいているうちにも、命の砂時計はさらさらと落ちていく。それは、どんなに辛い日々だったことだろう。それでも淳さんは、最後まで生きたいと願い続け、治療を諦めなかった。しかし、ついに動けなくなると、『病院にいたくない。お願い、最後までこの家にいさせて』と菅野さんに頼んだ。いつの間にか山に囲まれた家こそが、彼にとって「帰りたい故郷」になっていたのだ。
そして、家で最後の時間を過ごし、いよいよ容態が危ないという時に病院に運ばれ、そのまま亡くなった。冷たい雪が降りしきる日だった。
享年、四十歳。病気の発覚からたった八ヶ月後のことだった。
「そうして、先の見えない人生が始まったんです」
淡々と話す彼女は、遠くの山を見つめながら、何かを思い出しているようだった。
十年来のパートナーだった淳さんは、彼女にとって人生の師でもあったという。「物の考え方の先生です。考え方の転換がうまく、いつも感心しました」
思い返せば、美容整形のサイトを始めたのも、淳さんの言葉がきっかけだった。当時、景気の影響で会社を解雇されてしまった菅野さんが、「仕事、なくなっちゃったよ」と言うと、逆に「仕事がなくなるなんてすばらしいじゃないか! 明日からどんな仕事をしたっていいんだよ!」と淳さんは嬉しそうに答えた。
その時に考え方がガラリと変わり、自分で自分の仕事を作ろうとサイト運営を始め、それがうまくいって今の牧場の原資になった。だから、牧場を始められたのも、ある意味で彼のおかげだったのかもしれない。
しかし、その彼はこの世を去り、彼女は広い牧場で立ったひとりになってしまった。それでも、馬の世話は休めないし、草木は伸びる。
「悲しくてたまらないときは、作業に没頭しました。泣く暇があったら重機に乗って。日の出前から木を切ることもあった。集中できることがあったから、やってこれたんです」

川内 有緒