未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
86

日本陶磁器・発祥の地 有田町に暮らす人々(後編)

初期伊万里に描かれた月の謎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.86 |10 March 2017
この記事をはじめから読む

#9そして再び観音山へ

 さて、月が描かれた器の撮影も終わり、そろそろ私の有田滞在もいよいよ最後の一週間を迎えようとしていた。撮影もほぼ完了し、あとは写真を選んでプリントして、展示作業をするばかりだ。

 そういえば、観音山は夕方ばかりで朝に登ったことはまだ一度もなかったな、と思いついて朝から登ってみることにした。自転車で稗古場の窯跡につく。

 するとどこからか「松本さーん!」と声がする。振り返ると、美里さんと省平さんが手を振っていた。省平さんの工房は、この観音山のすぐ近くにあるのだ。「今度はお店じゃなくて工房にも遊びに来てねー! いつでもよかけん」と美里さんが大きな声で言ってくれた。嬉しくなって思わず元気いっぱいに「はい!」と答えた私は、二人と別れて、そのまま観音山の頂上へと向かった。二人にばったり稗古場で会ったことを、あとで深江さんと佐々木さんにも教えてあげよう、と私は歩きながら思った。

 朝の観音山は、夕方とそんなに変わるわけでもなく、特に何もなく静かだった。相変わらず、木が生い茂っていて、すごく眺めがいいわけでもない。この時間は月も見えないし、ましてや遠い韓国が見えるわけでもない。木々の間から、有田の可愛らしい町が見え、そしてこの町をぐるりと取り囲む山々が見えるだけだ。だけどもしかしたら昔、李参平たちがここを踏みしめて月を見上げていたのかもしれないな、と山頂で、空を見ながらそんなことを考えていた。
そんな気配だけは、かすかにこの山の上に残っているような気がした。

 あなたも有田に来たら、ぜひ美しい有田焼の名品を見るとともに、歴史の跡地を巡ってほしい。この小さな町には至る所に、本物の歴史が落ちている。歩いて、見て、触って、きっとそれを感じることができるだろう。そして機会があれば町の人たちと話してみてほしい。この町の人々は、ほとんどが、何らか有田焼に関わって生きている人たちばかりだ。町の人々と話すことで、きっとあなただけの有田焼の物語が生まれるだろう。私が佐々木さんと深江さんと、そしてたくさんの有田町の人々出会って、有田焼を深く知ることができたように。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.86

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。