出迎えてくれた久男さんは、引き出しを自由に開けて、なんでも撮影していいからね、とにっこり笑って言って、私を座敷に残して自分の工房へ戻っていった。池田家の座敷で一人、撮影を行う。よく考えると、会って二度目の素性もよくわからないカメラマンに、家の中でこんなに好き勝手にさせてくれるなんて、すごいことだと思う。久男さんだけでなく、有田の町の人々は、みんなおおらかで優しいのだ。
月が描かれた器との久々の対面。小さな器の中で、鹿がそっと月を見上げている。月を振り返って見上げる鹿の様子は、シンプルだけれど、懐かしむかのごとく見上げているように見えた。それはもしかしたら、鹿の様子に託した陶工たちの溢れる感情をトレースした構図なのかもしれない。撮影しながら、私はそんなことを考えていた。
さて初期伊万里に描かれた月は、時代が下ると、だんだんと器に描かれなくなっていく。それはなぜなのだろうか。韓国陶工たちの子どもたちやその子どもたち、そのまた子どもたち……となるにつれて、異国の地に連れてこられた悲しみや辛さは、だんだんと忘れ去られていったのかもしれない。だが今となっては、本当のことは誰も知る由も無い。
だけれども彼らが日本で生きて、美しい焼き物を作り、今も続く有田の産業の基礎を作ったことは、決して忘れられることはない。今も残る、有田焼の名品の数々と途切れることのない有田の技術と産業が、それをずっと伝え続けていくことだろう。

松本美枝子