さて全国から依頼があるだけに、持ち込まれるギターもさまざまだ。ギターだけでなく、さまざまな弦楽器が持ち込まれる。五百万円はくだらない高価なヴィンテージ・ギターや、なかなか見かけない珍しい楽器もよく修理しているので、今ではすっかりギターの所有欲はなくなってしまった、と斎藤さんはにこやかに語る。
「ギターの最上級は、今でも変わらず1950年代のものなんです」と斎藤さんは教えてくれた。新しいギターであっても、いいものは皆、50年代製のものを目指したリバイバルなのだという。「だからギターのリペアという仕事は、古いものをよく知っていればいいんですよ」
ここに持ち込まれるのは、コレクターが大事に飾るようなヴィンテージ・ギターばかりではない。バンドをやっている若者が、すぐにまた次のライブで使うから、と言って持ってくるものから、中高年のギター愛好家が昔から大切に弾いているものまで、持ち主もギターの状態も実にさまざまだ。
そのなかでも、一番時間をかけて修理したものは、あの東日本大震災で津波に飲みこまれたギターだった、と斎藤さんは教えてくれた。持ち主は津波で家を流され、後日、ギターだけが山で見つかった。津波以前の持ち物はギターしかないという持ち主のために、なんとか修理してあげてほしい、と人づてに、そのギターは東北から遠く離れた「ソーンツリー」へと持ち込まれたのだった。他のところでは、修理は無理だと断られていたからだ。
それならば、とボランティアとして修理を請け負った斎藤さんは、海に浸かってひどい状態になってしまったギターを洗い、いったん全てバラバラに解体してから、交換できる部材は交換して、塗装をし……、とひとつひとつの作業を丁寧に行いながら、1年もの時間をかけて元の形へと戻したのだという。
「ギターが直ったことを持ち主がとっても喜んでくれて、それは本当に嬉しかったですねえ……」と斎藤さんは当時を思い出しながら、話してくれたのであった。
ギター・リペアマンに限らず、ものづくりのプロには、いろいろなタイプがあると思う。例えば自分のこだわりの技術を貫き、時に請け負う仕事を選ぶ、いわゆる「頑固親父」な職人気質の人。一方で、お客さんに寄り添い、どんな依頼も話し合って作業を進めていくタイプの人もいる。斎藤さんはまちがいなく後者だろう。
「だから僕、自分の事を職人だとはあんまり思ってないんですよね」と斎藤さんは笑っていうのだった。

松本美枝子