「ギターのリペアで最も時間がかかる仕事は、作業をどうアプローチしていくか、そのシミュレーションなんです」と斎藤さんは続ける。
ギターの修理は大掛かりになると、この津波にのまれたギターのように、全てを解体することもある。それはベテランの斎藤さんであっても、やはり大変な作業だ。
「もう1回やりおし」が効かない作業だからこそ、シミュレーションには慎重を期し、それに数ヶ月をかけることもあるという。「作業に手をつける決心がつくまでは、うまく直るかどうか、いつも怖いんです」と斎藤さん。逆に作業方針が決まれば、あとは一気に刃を入れて直すだけなのだという。
「それにギターのリペアって、《熟練》するものでもないんですよ」と斎藤さんはさらに続けた。
え、そうなの? 修理の技は日々磨かれていくもの、と思っていた私には、その意味がよくわからなかった。私の顔に疑問の色が浮かんだのを見て取った斎藤さんは、さらにこう続ける。
もちろん作業そのものには熟練した技術が必要だ。しかし天然素材である木で作られたギターには、壊れ方にパターンというものがない。また天然素材であるがゆえに、木と木の連結の構造は複雑で微妙なものであり、状態もひとつひとつ違う。家電製品の修理のように壊れたユニットをただ交換すればいいというものでもない。
だからギターの修理とは、一つ一つが全く別の新しい仕事なのだ。一度修理した経験が次にも役立つということはあまりなくて、その都度新しい作業をシミュレーションして、それを実行していける能力が大事なのだ、と斎藤さんは教えてくれた。
時々、ソーンツリーには「弟子にしてほしい」と言って、若い人が尋ねてくることもあるそうだ。しかし斎藤さんは、ギターの修理の仕事は教えられることも、手伝ってもらえることも少ないから、今のところは弟子をとらないつもりなのだ、と語ってくれた。
斎藤さん自身も、「学校で教わったことよりも、独立してから、実際の修理を通して覚えたことの方がずっと多かったです」という。
例えば天井にたくさん貼ってある設計図もそうだ。ギターの本場、アメリカなどの外国から取り寄せた設計図を、英単語を拾い読みしながら独学で覚えた作業工程も少なくない。時にはアメリカにしか売っていない、ギター製作専用の機械さえも、原書の設計図を見て手作りするというのだから驚きだ。
「だからリペアの仕事は、誰かに教わるよりも、勇気を持ってひとりで作業を始められるかどうか、ということの方が重要なんですよね」と斎藤さんは言うのだった。

松本美枝子