未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
108

〜ギターの森へようこそ〜

森の奥のギター・リペアマン

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.108 |25 February 2018
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#8ギターを愛する人たち

 さて工房の名前にもなっている「ソーンツリー」ってなんの木のことなのだろうか?

「棘がある《いばら》のことで、昔からアメリカなどで、ギターのインレイの代表的なデザインにもなっている木なんですよ」
 インレイとは貝や象牙などを使った象嵌細工のことで、ギターにもよく施されている装飾のことだ。細かくて華麗なインレイがふんだんに施されたギターは、単なる楽器の枠を超えて、木工芸品とも言える。
 インレイの役割はギターを美しくする、というだけではない。持ち主にとって大切なギターに、イニシャルや好きなものなどの「自分らしさ」を掘り込むという意味もあるのだ。斎藤さんはそんなギターの大切な一部分でもあるインレイの技術を独学で学び、ギターのインレイの象徴とも言えるソーンツリーを、この工房の名前に冠したのだった。

「さっきは、弟子はとらない、と言ったけれど」と斎藤さんは切り出した。「もっと歳をとったらの話だけど。いつかは人に教えたいとは思っているんですよね。やっぱりこれだけ長くやっていると、人が知らない知識の蓄積がありますからね」
 まだずっと先のことかもしれないけれど、それはすごく楽しみだ! と思って、私は安心した。この技術を誰も引き継がなかったとしたら、やはり、それは勿体なさすぎる……。話を聞きながら、私はずっとそんなことを考えていたからだ。

 さて斎藤さんへの長いインタビューは、すっかり予定の時間を過ぎてしまっていた。「それではそろそろ……」と私が言いかけるのとほぼ同時に、「こんにちは」と言ってギターを抱えた男性が、ドアを開けて工房へと入ってきた。きっとギターの修理を依頼しに来たお客さんだろう。
 さあ、斎藤さんのまた新たな仕事の始まりだ。先ほどまでと変わらない、落ち着いた声でお客さんと話を始めた斎藤さんに軽く挨拶して、私は静かに工房を出た。Q太郎がガラス戸の向こうで、見送ってくれていた。

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未知の細道 No.108

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。