未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
140

高山で生きる不思議な鳥

ライチョウを育てる 大町山岳博物館

文= 松本美枝子
写真= 舘かほる
未知の細道 No.140 |25 June 2019
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#9山博のこれから

山博の館長まで務めた宮野さんが、今でも指導員として在籍しているのは、実は後進を育てるためなのだという。
「大学の研究成果はデータや写真で伝えることができるけど、僕が伝えなきゃいけないのは、文字や映像、数字で伝えられないものだと思っている」と宮野さん。

それはなんなのかというと、例えば「感触」。ライチョウの排泄物の柔らかさは持ってみないとわからない。さらに一番伝えにくいのは「匂い」だ。ライチョウの調子が悪くなった時には排泄物の匂いも悪くなるのだが、これは嗅いだ人でないと分からないし、それを言葉で表現するのはもっと難しい。そんな時は飼育員たちを集めて「この匂いを覚えておきなさい」というのだという。科学的な飼育をしながらも、その経験は決してデータ化することはできない。まるで口伝のような仕事ではないか!

この数値化できない飼育の現場での経験を、若い世代に伝えるのが、今の宮野さんの大事な仕事なのだ。
山博や他の全国6施設でのライチョウ飼育の現場を、最新の研究とつなげることで、はじめてライチョウの保全活動は進んでいく。どちらも欠かすことはできない。そしてライチョウを守る後輩たちはこの館だけではなく、国内各地に育ってきている、と宮野さんは語る。

さて、これまで山博を見てきて、私は思うことがあった。
人口2万人の大町は決して大きくはない、しかも山奥の町だ。にもかかわらず市の博物館としては珍しいと言えるほどの、豊かなコレクションや先駆的な調査研究を長い間続けてこられたのは、いったい、なぜなのだろうか?

すると宮野さんは「野生動物の飼育でも、それ以外の分野でも、山博はいつも的確な資料収集と展示を考えてきたから」と答えたのであった。
それはつまり早急に記録や保全が必要と考えられる資料を最優先に収集し、記録するということだ。ライチョウしかり、それこそが博物館として最も価値のある情報の発信へとつながっていくことなのだろう。
それは本来、どこの博物館でも普遍的な使命であるのだろうが、実際に実践するとなると、ものすごく難しいことなんだということを、学生時代に博物館学を学んだ私は知っている。でもこれを山の麓でやり続けてきたからこそ、山岳博物館ならではの独創的な活動ができているのだろうと私は思った。

大町市には「山岳文化都市宣言」というものがある。それを読むと自然と人とが共生する独自の山岳文化を形成してきた歴史を大切にし、これからも新たな山岳文化を創造していこういう思いが伝わってくる。 そういえば宮野さんは「山岳博物館の中で、何が一番いい展示かというと、3階から見る北アルプスだと、私は思っているんです」と言っていた。山博は、やはりこの北アルプスがあってこその博物館なのだ。

博物館を出ると、朝と変わらぬ大きな山々がそびえ立っている。
あの美しい山の中に、今日見たライチョウもカモシカもキツネもフクロウも全ているのだ。そして山を愛する人たちが、この大町を通って、高く険しい山を登りにやってくる。あの山の中には、全てがつまっているのだろう。
次に大町に来るときは、山を登ってみよう、そこでまたいつかライチョウが見られる時がくるといいな、と思った。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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