高校生であった土屋さんは、ある日、体に異変を感じた。だるくて動けなくなったのだ。病院で検査を受けると、医者の診断は数万人に一人の難病の疑いあり。死に至る場合もあると言われた。
「それからは、半年くらい病院と家を行ったり来たりして、わけのわからない検査を受ける日々です。でも、体は一向によくならない。医者にも『発病したら進行が早い。二十歳まで生きられないかもしれないから、高校もやめて好きなことしたら』と言われました」
ああ、本当に死んじゃうのかもなあとふさぎこみ、半ば鬱状態に陥っていた。
そんなある日のことである。生物部顧問の先生が、テレビのアウトドア番組に出演することになり、土屋さんも撮影の見学に出かけた。途中で、天然の川魚を撮影したいという話が出る。先生は、「おい、かじかを取ってきてくれ」と土屋さんに声をかけた。その日の土屋さんは、服用していた薬の影響で瞳孔が開きっぱなし。実は、視界は真っ白でほとんと見えていなかった。とはいえ、今まで無数の魚をとってきた少年に焦りはなかった。川にざぶざぶと入ると、しばらく意識を集中し、体の感触だけを頼りに、素手で魚を捕まえた。
その瞬間、テレビクルーは「おおお!!! 野生児だ!」と興奮で沸き立った。ポカンとしたのは、土屋さん本人である。そんなにすごいことなの? 自分の持つ特殊性に気が付いた最初の瞬間だった。
魚の掴み採りがきっかけとなり、土屋さん自身にもアウトドア番組への出演依頼が舞い込み、2年間にわたり番組に出演。そして、高校の卒業を迎える時には、番組のアナウンサーの女性に「あなたはもう東京最後の野生児として生きなさい!」と言われた。
あれ? そういえば病気はどうなったのだろうか?
「ああ〜、全然よくならないので、病院に行くのをやめてしまったんです。それで、大好きな森に通うことにしました。新鮮な空気を吸って、鳥や空を眺めていると気分が良くなった。そしたら病気はいつの間にか治っていったんですよ」
なるほど。彼自身が身を持って森の効用に気がついたというわけだ。「それが森林セラピーに関わるきっかけになったんですね!」
「いやあ、それがね……いろいろと遊ばせていただいて! へへへ!」
と照れたように笑って、その先に起きた紆余曲折を話してくれた。
そうなのだ。一人の野生児が「森の演出家」になるのは、まだまだ先のことである。

川内 有緒