未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
55

東京の森で深呼吸をしよう 「東京最後の野生児」と歩く
奥多摩

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.55 |20 Nobember 2015 この記事をはじめから読む

#6東京最後の野生児として

 高校生であった土屋さんは、ある日、体に異変を感じた。だるくて動けなくなったのだ。病院で検査を受けると、医者の診断は数万人に一人の難病の疑いあり。死に至る場合もあると言われた。
「それからは、半年くらい病院と家を行ったり来たりして、わけのわからない検査を受ける日々です。でも、体は一向によくならない。医者にも『発病したら進行が早い。二十歳まで生きられないかもしれないから、高校もやめて好きなことしたら』と言われました」
 ああ、本当に死んじゃうのかもなあとふさぎこみ、半ば鬱状態に陥っていた。
 そんなある日のことである。生物部顧問の先生が、テレビのアウトドア番組に出演することになり、土屋さんも撮影の見学に出かけた。途中で、天然の川魚を撮影したいという話が出る。先生は、「おい、かじかを取ってきてくれ」と土屋さんに声をかけた。その日の土屋さんは、服用していた薬の影響で瞳孔が開きっぱなし。実は、視界は真っ白でほとんと見えていなかった。とはいえ、今まで無数の魚をとってきた少年に焦りはなかった。川にざぶざぶと入ると、しばらく意識を集中し、体の感触だけを頼りに、素手で魚を捕まえた。
 その瞬間、テレビクルーは「おおお!!! 野生児だ!」と興奮で沸き立った。ポカンとしたのは、土屋さん本人である。そんなにすごいことなの? 自分の持つ特殊性に気が付いた最初の瞬間だった。
 魚の掴み採りがきっかけとなり、土屋さん自身にもアウトドア番組への出演依頼が舞い込み、2年間にわたり番組に出演。そして、高校の卒業を迎える時には、番組のアナウンサーの女性に「あなたはもう東京最後の野生児として生きなさい!」と言われた。
 あれ? そういえば病気はどうなったのだろうか?
「ああ〜、全然よくならないので、病院に行くのをやめてしまったんです。それで、大好きな森に通うことにしました。新鮮な空気を吸って、鳥や空を眺めていると気分が良くなった。そしたら病気はいつの間にか治っていったんですよ」
 なるほど。彼自身が身を持って森の効用に気がついたというわけだ。「それが森林セラピーに関わるきっかけになったんですね!」
「いやあ、それがね……いろいろと遊ばせていただいて! へへへ!」
と照れたように笑って、その先に起きた紆余曲折を話してくれた。
 そうなのだ。一人の野生児が「森の演出家」になるのは、まだまだ先のことである。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.55

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。