未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
55

東京の森で深呼吸をしよう 「東京最後の野生児」と歩く
奥多摩

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.55 |20 Nobember 2015 この記事をはじめから読む

#11流れる雲を見ていた

 香り溢れる「登計トレイル」を歩き続けると、急に不思議な空間に出た。森が大きく開け、巨大な木の板が空に向かって立てかけられて、大きなベンチになっている。
 土屋さんが腰掛けたので、私も腰をおろした。すると、自然にリクライニングした状態になり、目の前に空だけが広がった。どうやら、空を見るためのベンチらしい。ゆるやかな風と背中に感じる木の感触がなんともいえず心地いい。
 私たちは、ゆったりとベンチに身を任せて、流れゆく雲を見ていた。最初は、「あの雲、動物の形に見えますね」などとはしゃいでいたが、自然に二人とも無言になった。もう人間の発する音が邪魔になったのだ。
 いつの間にか、私は寝入ってしまったようだ。目が覚めると、相変わらずやわらかな日差しに包まれていた。眠りは極上だったようで、すばらしい爽快感に包まれていた。ふと横を見ると、土屋さんも気持ちよさそうに寝ていた。
 このベンチも森林セラピーのしかけのひとつだ。リクライニングの角度も人間工学に基づいたもので、体への負担が少なくリラックスできるようなっている。次にここにくる時は、ポットにいれたコーヒーとお気に入りの本を持ってこようと思った。


  • ひとりでゆったりと座って景色を見るための座観スペース。
  • 木立の中に置かれた椅子とテーブル。コーヒーをゆっくりと飲みたい。

 実際にトレイルを歩いてみるとわかるが、ここは圧倒的に歩きやすい。木製チップのおかげで足に負担が少なく、休む場所もたくさんある。一人でくつろげる椅子や、座ると絶景が見られる座観スペース、コーヒーを飲みたくなるテーブルなどが絶妙な距離感で配置されている。また、ひとつひとつの什器が驚くほど美しい。
 トレイルは、まるで都会と森をつなぐ列車のようにも感じる。本来、森というものは恐ろしい場所でもある。道を間違えれば暗く、寂しく、勾配もきつく、怪我をすることだってある。しかし、細部に至るまでストレスを軽減するために設計されたこの道は、そんなキツさとは無縁だ。都会で疲れた人々のために生まれ、本物の森と都会をつなぐ乗り物となる。セラピーガイドは、その森への列車を率いる車掌の役割を果たすのだ。
 しばらく行くと、今度は森に張り出したウッドデッキのような空間が現れた。ヨガをするもよし、わいわいとお弁当を食べるのもよし、使い方は自由だ。私たちは大の字になって、ごろんと寝転がって空を見上げた。
「ね、森を楽しむのに、なんにも道具はいらないんです。自分がリラックスできる場所を探したり、いろいろなものを触ってみたり。風を感じたり。だから僕のガイドは、いかにお客さんが五感で森を感じる“アシスト”をするかなんです。そして、次回はお客さん自身で同じようにリラックスしたり、風を感じられるようになれば、それでいいんですよ」

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未知の細道 No.55

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。