未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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山田町で受け継がれる相撲の絆

兄弟弟子で目指す横綱の道!

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.66 |10 May 2016
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#2東日本大震災で芽生えた故郷への想い

かきの養殖が盛んな山田湾。4月初旬にも関わらずこの日は昼間でも気温3度で非常に冷えた

 岩手といえば、知る人ぞ知る相撲どころは盛岡。江戸時代初期、土俵は四角かった。その後、徐々に現在の丸い土俵に移っていくのだが、現在の盛岡一帯を治めていた南部藩では長らく四角い土俵で相撲が行われていて、昭和30年代まで記録が残っている。これを南部相撲と表し、人気を博した。
 日本において、南部相撲がどれだけ力を持っていたのかを知るエピソードがある。岩手県相撲連盟顧問で、山田町相撲協会常任顧問でもある川端信作氏さんはこう説明する。
「1925年に日本相撲協会ができる時、対抗するために、南部相撲を中心とした東北相撲協会を作ろうという話もあったようです」
 結局、「統一した日本相撲協会でいいだろう」という判断で東北相撲協会は日の目を見なかったそうだが、南部相撲の強烈なプライドがうかがえる。
 この南部相撲の興隆に深くかかわっているのは「越後」の行司名を持つ長瀬家で、その末裔が今も暮らすのが山田町。川端さんによると、盛岡市を中心に内陸部で相撲が盛んな岩手で、内陸に負けじと踏ん張ってきたのが沿岸部の山田町ということだけど、それは山田町に居を構える長瀬家の存在も影響しているのかもしれない。

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未知の細道 No.66

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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