未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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山田町で受け継がれる相撲の絆

兄弟弟子で目指す横綱の道!

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.66 |10 May 2016
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#4東日本大震災で芽生えた故郷への想い

小学校1年生から相撲を続ける佐々木拓海くん。稽古姿も堂に入っている

 拓海君は小学1年生の時、相撲協会の関係者に誘われて相撲を始めた。当初、4、5人の仲間がいたが途中で辞めてしまい、小学校3年生になると1人になった。それでも「自分は相撲が好きだったし、先輩、後輩もいたからやめようとは思わなかったです」と語る。
 唯一、相撲をやめようと思ったのは、小学校の卒業間際に起きた東日本大震災の時だったが、恩師への想いで踏みとどまった。
「津波で相撲を教えてくれていた恩師が亡くなって、土俵が流されてしまったので、その時は、相撲もできないし辞めようかなという気持ちもありました。でも、それまで僕を育ててくれたのはその恩師だったから、ここでやめたらだめだなと思ったんです」
 震災が少し落ち着いた後、地元の中学に通い始めた拓海くん。中学でも相撲をしているのはひとりだったが、「どうしても相撲を続けたい。ひとりでもいいから頑張ろう」と決意。山田高校には相撲をしている先輩がいたので、高校に通って先輩と一緒に稽古を積んだ。
 小学5年生の時に岩手県学童相撲大会で優勝した拓海くんは、高校生との稽古によって中学でも力をつけ、中学2年生の時に強豪ひしめく東北大会で5位入賞。この時、故郷への想いが芽生えたという。
「山田の人たちに、すごかったね、元気もらったよと声をかけてもらって、自分が活躍すれば山田のみんなも明るくなれるんだと気づきました。だから、自分がもっと上を目指していけば、もっと山田が明るくなる、もっと強くなりたいと思って稽古しました。震災前は特に故郷だとは思ってなかったけど、震災があってから、故郷山田のことを思って相撲を取るようになりました」

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未知の細道 No.66

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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