
さて東北芸術工科大学の学生たちが作ってくれた食事を一緒にいただきながら、原さんが「松本さん、この方にお話を聞くといいですよ、この町のアート・プロジェクトの全てに関わっているから!」といって、鯨ヶ丘商店街の住人、渡辺彰さんを紹介してくれた。渡辺さんは町の一角で喜久屋という味噌とこうじの店を営んでいる。
あれ、どこかでお会いしたことがあるかな……? と思ったら、渡辺さんは深澤さんの作品でも、インタビューで登場していたのであった。他にも北澤さんの作品を手伝ったり、茨城県北芸術祭の鯨ヶ丘で制作されたプロジェクトには、ほとんど関わっていると言ってもいいかもしれない渡辺さんである。
私が、自分の地元でもあるこの茨城県で大規模な国際芸術祭が行われ、そしてここ鯨ヶ丘でも、このように現代アートのプロジェクトが受け入れられて、こんなにも賑わうなんてちょっと想像がつかなかった、というと渡辺さんは首を振ってこう言った。
「違うよ、この町はすでに25年前に大きなアート・プロジェクトを受け入れているんだよ。だからその下地があるんですよ!」と教えてくれた。
25年前のプロジェクトとは、クリスト&ジャンヌ・クロードという二人組の著名な現代アーティストによる「アンブレラ・プロジェクト」である。それはこの茨城県北部と、そしてアメリカはカリフォルニアの、それぞれ山間部の広大な地域で3,100本の巨大な傘をいっせいに開く、というものだった。
「アート・プロジェクト」という言葉は、今でこそよく聞かれるようになったが、クリスト&ジャンヌ・クロードはその草分け的な存在と言って良いだろう。また「アンブレラ・プロジェクト」は関わった地域の広さ、人々の数、そして何と言っても19キロm2に及ぶ自然の中に、数千もの巨大な人工物を設置することの困難さなど、すべてが規格外の内容であり、日本における伝説のアート・プロジェクトとして知られている。常陸太田市はまさに、日本側の地域の南端として、このプロジェクトに参加していたのであった。
同じ通りで古くから続く薬局の17代目であり、深澤さんの滞在先として部屋を提供している川又愼さんも、こう教えてくれた。「25年前にクリストたちが来た時も、ここで座談会を企画するなどして、私たちは大いに楽しんだ。そして今、この『茨城県北芸術祭』もみんなが楽しんでいる。これはクリストのプロジェクトが発火点とも言えるかもしれないね」
渡辺さんのお宅も川又さんのお宅も、もちろん原さんの作品であるピンクの窓に染まっている。また川又さんは深澤さんの「常陸佐竹市」にも積極的に「市民会議」に参加し、率先してイベントを企画するなどしている。
そうか、実はこの町の人たちは、日本にアート・プロジェクトが根付くずっと前から現代アートやアーティストたちに慣れ親しんでいるのかも……、と私は気付いたのであった。



松本美枝子