そんな有田に来てからそろそろ二週間が経とうとしていたある日、私は少し焦っていた。
そう、私は佐賀県で行われるアートイベントのプロジェクトで、有田町に長期出張に来ているのだった。有田町に1ヶ月間、滞在制作して、作品を展示するのが今回の私のミッションだ。有田のことなら、焼き物のことならなんでも知っていると巷で言われている有田町役場の深江亮平さんとUターンの地域おこし協力隊員、佐々木元康さんを作品制作のパートナーに迎え「有田の歴史と現在をテーマに写真を撮影する」ということで、作品作りはすでに始まっていた。撮影はだいぶ進んでいたが、私は悩んでいた。有田の歴史の核となる被写体をどうするか、一体何を撮影したら今回の作品にとって良いのか、未だにその最後のピースを見つけられないでいたのだ。
韓国の陶工たちの歴史のシンボルの一つを被写体にしたい、と私は考えていたのだが、何しろもう400年も昔のことである。一体何が良いのか、私にはなかなか掴めないでいたのだった。


町の観光名所の一つ、陶山神社。有田を訪れる観光客は、ほとんどがそこへと足を運ぶはずだ。さらにその上の丘に、もう一つの有田の大切な場所がある。李参平の碑だ。有田町内山地区のまちなかで一番高い場所であるそこは、大正時代に建てられ、今でも町の人々や観光客が訪れる。
ここに登ると、有田の町を一望することができる。私は考えに行き詰まると、毎日一回、この李参平の碑まで登ることにしていた。
今回の作品の中で、有田の歴史のシンボルとなる被写体は、一体何がふさわしいのかだろうか……、丘の上から有田の景色を見ながら、毎日悶々と考えていたのだった。

松本美枝子