
佐賀県有田町
日本の磁器の発祥の地として、今年401年目を迎える佐賀県有田町。前編に引き続き、この町の輝かしい技術と歴史を紐解く。
この町は約400年前に韓国から連れてこられた陶工たちによって作られたと言っても過言ではない。初期の有田焼の作品に描かれる月のイメージ、それは有田焼を作り始めた人々にとってどんな意味を持っていたのか。
その謎を追いながら、昔と今の、有田の町を浮かび上がらせる。
最寄りのICから九州自動車道「波佐見有田IC」を下車
最寄りのICから九州自動車道「波佐見有田IC」を下車

佐賀県有田町。言わずと知れた日本の磁器発祥の地であり、有田焼の成り立ちと町の発展を語る時に韓国との関係は欠かせない。
有田の焼き物は約400年前に現在の韓国から連れてこられた陶工たちによって作られた。1592年から1598年にかけての文禄・慶長の役、いわゆる豊臣秀吉の朝鮮出兵。のちの佐賀藩祖となる鍋島氏も、秀吉に従って出兵した。その時に鍋島軍に捕らえられた韓国の陶工たちが、今の佐賀県へと連行された。その陶工たちは磁器の製造に必要な原料を求めて鍋島氏の領内を歩き回り、とある山で最適な白い磁石(じせき、磁器の原料)の地層を見つけ出した。それが現在の有田町・泉山磁石場だ。
白い岩がむき出しになった泉山の威容は、今でも見る者の心を圧倒する。この荒々しい岩が、あの繊細な焼き物になるのかと、誰しもが思うだろう。有田に来たら是非訪れてほしい場所の一つだ。
この泉山の磁石を使い、それまでの日本になかった技術をもたらした韓国の陶工たちによって、日本で初めての白い磁器が生み出されたのである。その陶工たちの一人が、李参平だ。李参平は陶工たちのリーダーとして、金ヶ江三兵衛という日本名を与えられ、白磁の製造に励んだ。有田焼の祖として、今でも崇められている存在なのだ。

松本美枝子