省平さんと美里さんに会い、観音山も一緒に登り、私は、初期伊万里に描かれた月を、自分の作品のテーマとして撮影することに決めた。
しかし実際に本物の初期伊万里を探して撮影するとなると、それは思ったより簡単にいかない、ということもわかった。
初期伊万里というと、古いお家がたくさんある有田とはいえ、なかなかない。何しろ400年も前に作られた器である。それにもともと有田は産業の町だ。いい器というものは、職人さんや窯元のお家に残っているわけではない。
なぜならいい器ができれば、それは売り物として、すぐに町の外へと出されるからだ。有田は根っからの産業の町なのである。今、有田の中にある様々な美術館や展示室にあるものも、有田にもともと残っているものよりも、昭和になってわざわざお金をかけて買い戻したり、コレクターが寄贈してくれたものも少なくない。それに有田は大火に見舞われている、ということもある。
もちろん九陶に行けば、素晴らしい初期伊万里の器の数々を、ガラス越しではあるが実際に見ることはできる。でも私がそれを触らせてもらって撮影するということになると、なかなかハードルが高いことなのであった。
はてさて、どうしたものかな、と思いながら、自分がこれまでリサーチで撮った写真の中に何かヒントがないか、有田に来てから二週間の写真を全部一枚一枚見返すことにした。もうすでに2000カット以上は撮っていたが、半ばヤケになって一枚ずつ見返していった。
するとである。あの大イチョウの隣にある池田家で撮影した、畑の中に埋まっていた小さな染付の器が詰まった引き出しの中に、何と小さな月らしきものが描かれているではないか! 自分が撮ったその一枚の写真を拡大してみると、やはり鹿と月が描かれていたのである。この器が初期伊万里かどうかは断定できないが、それに近い時代か、あるいは初期伊万里に描かれた月のイメージを引き継いできた構図であることは間違いない。
あった、あった! 気づかなかっただけで、私、本当は、すでにこの月に出会っていたんだ! そう思ったら、心が震えた。
すぐに深江さんと佐々木さんに報告し、さらに久男さんに連絡をとってから、私はこの小さな小さな器を撮影しに、再び一人で池田家へと出かけたのであった。

松本美枝子