未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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日本陶磁器・発祥の地 有田町に暮らす人々(後編)

初期伊万里に描かれた月の謎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.86 |10 March 2017
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#6省平さんと観音山を登る

麓から徒歩1分の観音山山頂で、省平さんと。

 李参平窯から車で1分、街の大通りからちょっとだけ入ったところに車を止める。そこは稗古場という地区だ。有田の中でも最も古い窯跡の一つ、「稗古場の窯跡」があり、その上の小さな丘が「観音山」なのだ。稗古場の窯跡は、よく見ると400年前からある、古い古い陶片や窯の壁跡が苔に埋もれて、ひっそりと佇んでいた。省平さんが土に埋もれた、それらを指差しては、ほら、これはとても古いものだよ、と言って一つ一つ教えてくれる。
一通り窯を見てから、観音山を登る。山を登ると言っても、稗古場の窯跡から山頂までは1分ほどだ。本当に小さな丘なのだ。

 山頂に着くと、深江さんが、ああー、子供の頃に遠足で来たなあ、とつぶやいている。
遠足? ここは小さな祠と幾つかの仏像が祀ってあるだけで、取り立てて、何があるわけではない。しかも結構な勢いで木が茂っており、木々の間から、有田の町が見え、そしてこの町をぐるりと取り囲む山々が見えるだけだ。それでも、ここを小学生の遠足の場所に選ぶということは、やはり町では、次世代にも李参平たちの歴史をきちんと伝えていこう、という考えがあるのだなあ、と私は思った。

 九州の冬は日が長い。私の住む町、水戸に比べたら、50分は日の入りが遅いだろう。今頃、水戸ではとっくに日が沈んでいるだろうけれども、5時過ぎても観音山はまだ十分に明るかった。春が近づいてきたことを思わせる暖かな夕日に、省平さんはまぶしそうに目を細めていた。私は観音山に月を見に登ったご先祖様の思い出話などは金ヶ江家に伝わっているのですか、と尋ねると、省平さんはいいや、とを首を横に振った。もう400年も前の話だからね、そんな話は伝わっていないんだよ、と。

 もしかしたら韓国の陶工たちは、この有田で日本人として生き抜くために、辛い思い出は子供達には伝えずに、自分たちの心の中だけにしまっておいたのかもしれないなあ、と私はなんとなく思った。

 帰ってから佐々木さんに、メールで今日の出来事を伝えると、「あー、いいなあ、僕も14代と一緒に観音山を登ってみたかった!」という羨ましそうな返事が返ってきた。佐々木さんは別の用事があって、今日の私のリサーチに同行できなかったのである。
それは、そうだろう! 私だって、400年前の歴史上の有名な人物が歩いたかもしれない道を、その直系の子孫と歩くなんて、初めての経験だったんだから。

観音山から見える有田の町。
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未知の細道 No.86

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。