「どんな花を育てて販売していくか、それは女性の目線が大切だったよのね。だから私もいろいろ勉強して、育てる花の種類を増やしていったのよ」としつ子さんが教えてくれた。「花を買うのは女性だからなあ」と保田さんも相槌を打つ。
しつ子さんは、どんな花に需要があるのか、さらに大規模生産できるか、自分のセンスで、品種を選ぶようになっていく。そうしてポインセチア、ブライダルベール、オリヅルラン、のぼたん、ローズリーフ、月光華と、どんどん取り扱う花の種類を増やしていった。さらにしつ子さんは県の「女性農業士」に認定され、まさに保田さんと二人三脚で、農園を切り盛りしていったのだ。
園芸を始めて最初のころ、保田さんは、自ら東京の市場に花を出荷しに出かけていた。保田さんが一代で立ち上げた花き栽培は、順調に生産を伸ばしていったが、茨城県内では、保田さん以外の生産者が数少なかったため、全国的な産地としてはマイナーだった。それで茨城まで集荷に来てくれる市場がなかったのだ。
一方、東京の市場では、大産地に向かって、トラックが鉢物の集荷へと出かけていく。わざわざ時間をかけて東京まで出荷しに行く保田さんは、花き栽培の本場である愛知や埼玉などから、たくさんの鉢物を集荷して市場へと戻ってくるトラックを見ると、羨ましくてたまらなかった。
出荷にかけるこの時間が、集荷に変われば、もっと花を作ることに集中できるのになあ……そう思った保田さんは思い切って、市場の人に頼んでみた。すると、一つの市場がわざわざ集荷に来てくれるようになった。「初めてトラックがここまで集荷に来てくれた時は、それは嬉しかったよね」と保田さんとしつ子さんはにこにこしながら言った。
一つの市場が来てくれるようになると、だんだん他の市場も集荷に来てくれるようになった。そうするうちに、やがて近隣に花き生産者も増え、たくさんのトラックが小美玉まで集荷に来るようになったのだという。
その後、保田さんたちは仲間たちと花き生産者の組合を立ち上げ、茨城の花き栽培は産地化された。そして20年前には、ついに県内に「茨城県花き流通センター」ができたのである。現在は、ここから保田さんたち園芸農家が作っている茨城県産の花の鉢物が、全国へと出荷されている。
さて、一年中苦労して働きづめになるのではなく、休日がしっかりとれる近代的な園芸をやりたいー 学生の頃、そんな生活を夢見た保田さんは、最初の理想通りの生活ができるようになったのだろうか?
花き栽培は天気に左右されないので、作業時間も天気に左右されることはない。その代わりに、常に細かく気を配ってハウスの中の温度と給水を管理し、より美しい花々を咲かせる鉢物を生産する。そのために、ハウスの中には潅水施設など、新しい設備を積極的に取り入れた。取り扱う花の種類が増え、生産高が上がってはハウスを増やし、大規模な経営になるにつれて、パートも雇うようになっていった。
「うん、だから最初に思い描いていた通り、9時から5時まで働いて、土日は休み、という自分の理想の働き方をずっと守って、園芸をやってきたんだよ。」保田さんは誇らしげに語ってくれた。
そして今年に入って、保田さんとしつ子さんは息子さん夫婦に花き栽培の全てを譲った。七年前から、二人はマンゴーの栽培に力を入れるようになっていたからだ。「息子たちがしっかりと本業である花を継いでくれた。だから俺たちはこうやって新しいことにチャレンジできるんだ」と保田さんとしつ子さんは言う。

松本美枝子