
広野ICから2年前までは通行止めになっていた区間を走る。現在でも放射線量が高い場所もあるが、福島県浜通りの復興には全線開通が不可欠として、再び開かれた道なのだ。
そこから少し先の相馬ICのある福島県相馬市は、民謡が盛んなところである。江戸時代の相馬藩の頃から続く、古き良き唄が数多く残されている。
実は相馬の民謡のことは、私の地元からも近い、茨城県日立市の人々からよく聞かされていたのだった。高度経済成長の頃、日立は工業都市として栄え、日立周辺のみならず、主に東北地方からやってきたたくさんの若者たちが、工場や鉱山で働いていたのだという。秋田や山形、そして福島からやってきた若者たちは、みな歌がうまく、よく地元の民謡を歌ってくれたものだ、と日立に住む70歳代の知り合いたちは教えてくれた。特に日立鉱山で働く福島県人は相馬出身者も多く、相馬民謡をよく日立の山の中で聞いたなあ、という話が、私の中で印象に残っていたのであった。日立のお年寄りが、むかし、相馬の人に教わったといって歌ってくれた民謡は朗々として、とてもいい唄だった。
その相馬市では毎年10月に相馬民謡全国大会が開かれる。私が相馬ICを通ったのは、ちょうどこの大会の数日前だったのだ。事務局の方を訪ねてみると、この大会に向けてその週はとても忙しく、出場者の人たちも練習に余念がない、とのこと。そして当日は、たくさんのお客さんと出場者の歌声とで会場が盛り上がるのだという。
たまに日立で聞く相馬民謡もいいものだけど、来年はこの大会で本場の相馬民謡を聞きに、相馬に再び訪れよう、と思って次の目的地に向かうことにした。

松本美枝子