この日は、11人の参加者からテーマの案が出された。いくつかを挙げよう。
・運命は変えられるのか?
・恋愛という意味での好きとはなんだろう?
・ジェンダーフリーとはなにか?
・どうしてスマホに熱中するのか?
・お金の量、情報量で嘘は真実になりうるのか?
素朴な疑問からまさに哲学的な問いまであるなかで、僕がドキリとしたのは、雑誌『新潮45』に掲載されて話題になった某議員の論文をすべて読んだ上で、という前置きで提案された「子育て支援よりLGBT支援が優先されるのはなぜか?」という問いだった。
提案者は、某議員の支持者というわけではなさそうで、素朴な疑問を抱いての発言だったように感じる(真意はわからない)。それにしても日常生活において、家族や友人知人、職場の人や趣味の仲間と話をするときに、もし関心を持っていてもこの質問を口に出しづらいと感じるのは僕だけではないだろう。
案が出揃ってから、今度はそれぞれどのテーマについて話をしたいかを話し合う。やっぱりLGBT支援の話は参加者のなにかを刺激したようで多くの人が話題に挙げたけど、驚いたのはその反応だ。ネット上だと炎上しそうな提案なのに、カフェの参加者には批判したり、怒ったりするような人は皆無、むしろ、そういう見方もあるのか、と受け入れて、それぞれの意見を述べている。ひとりの参加者は、こう指摘した。
「そもそも某議員がLGBT支援と子育て支援を対立させて、どっちが大切ですかと問うこと自体がレトリックなんですよ。どっちも大切だという見方もあるし、LGBT支援と軍事費を比べることもできる。選択肢なんてほかにもたくさんあるにもかかわらず、福祉とか人権にかかわることを対立させることが巧妙でね。世の中にはそういうことが溢れているから、そういうことを見抜いて自分なりに価値判断していかなければいけない」
この視点は僕になかったものだから、なるほど! と深く納得した。同時に、この場の持つ意味、力を強く感じた。先に挙げた2つの心がけを守りながら対話をすることで、視野が広がったり、気づきを得たりすることができるのだ。この段階でまだ会が始まって40分ぐらいしか経っていなかったけど、僕は心の底から「楽しい!」と思い始めていた。

川内イオ