
「Music Bar Seed」を出ると、3月半ばだというのに雪がちらついていた。冷たい風から逃れるようにして、私はまたすぐ近くにある小さなビルのエレベーターに乗り込んだ。3階につくと、廊下までカラオケの歌声が漏れ出ている。次の目的地、音楽酒場「sound & visual ARPEGGIO」だ。
扉を開けると15人ほどが入れる小さなショットバーは、ほぼ満席。そろそろ0時を回るというのに、カラオケで盛り上がる店内は時間を感じさせなかった。
店主の石堂聰さんにお話を伺うつもりが、なかなか捉まえられない。常にマイクを持ち、お客さんのカラオケにハモっているからだ。ここ「ARPEGGIO」は恐らく日本で初めての「店主がハモってくれるバー」なのだ。水商売歴30年という店主が、ハモリバーのパイオニアとして独自でハモリを研究し、どんな曲でも、ここぞというところで合いの手やハモリを入れてくれる。
その歌い心地の良さを求めてお店には連夜、歌好きたちが集まってくる。この日も次々とお客さんがやってきては美空ひばりや浜田省吾など、それぞれの十八番を気持ちよさそうに熱唱していた。
よし、私も……と思ったところで気が付いた。お客さんの歌のレベルが半端ではないのだ。いくら十八番とはいえ、みなさん信じられないくらい歌が上手い。
「ここに来る人はみんな歌が大好きだから、のど自慢のような感じで歌うの」
オープン当初からの常連だという女性が教えてくれた。これまでの二軒分の酔いが一気に醒める。人前で歌うだけでも緊張するというのに、とんでもなくハイレベルなのど自慢大会に足を踏み入れてしまったのだ。「旅の恥はかき捨て」と唱えながら、学生時代の十八番である一青窈の「ハナミズキ」をカラオケに入れて、ビールをいきおいよく流し込んだ。