秋田県男鹿市出身の一人さんと、岩手県出身の友美子さんは、服飾系の専門学校で出会い、結婚。東京でアパレルの仕事を続けてきたが、2011年3月11日の東日本大震災で、人生の舵を大きく切った。
一人さん
震災から1年は、いろんな影響に怯えながら東京で過ごしていましたが、精神的には辛い日々でした。そんなときに妻から「男鹿に帰りたい」と言ってくれて。たしかに男鹿は、海があるから魚は釣れる、山もある、生命は維持できるぞと。それで、仕事も何も決めずにとりあえず戻ってきたんです。
僕はまずは縫製会社で働き始めたんですが、あまり東京に暮らしているときと変わらなくて。せっかく暮らしを変えようと帰って来たんだから、もっと子どもを身近に感じて仕事をしたいなと思うようになりました。
自分たちの服をつくり始めたのは、勢いでしたね。男鹿の職場で出会って「この人となら働きたいな」と思っていた人に連絡して「一緒になにかやろう」と話した次の日にはサンプルをつくり始めた。それが2014年の4月で、7月には商売を始めて、11月くらいには売り上げも結構上がって、もう一人働き手を増やすまでになりました。
「Own GArment products」っていうブランド名は、あえてのわかりづらさなんですよ(笑)。頭文字をとってOGAプロダクツ、「男鹿で服つくってる人がいるらしいよ」くらいの覚え方をしてもらいたいと思っているんです。
友美子さん
その頃はまだ直営店の『縫人』もなかったので、私たちが何者か地域の人にはちゃんと伝わっていませんでした。全国のセレクトショップなどに販売委託していたので、服の現物を見てもらう機会もありませんでしたし。
そんな状況もあって、2015年からは気の合う仲間たちと「ひのめ市」という年に1度のマルシェも開催するようになりました。
一人さん
男鹿発ということにはこだわりがある。でも、そのわりには地域にコミットしてないなと思うようになってもいました。
男鹿は交易の拠点としてかつて栄えた場所。だけど、10年前は3万5000人いた人口がいまは2万7000人くらい。賑わいを取り戻したいし、人にも環境にもいい未来をここからつくっていきたい。この場所がオーガニック(有機的)な食べもの、人のつながりがある場所になればという願いがあって、仲間たちとひのめ市を始めたんです。
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ひのめ市には、地元男鹿の店だけでなく、秋田県内、東北各地、遠くは東京から、飲食店や雑貨屋が出店し、道沿いに露店を立てる。買いもののほか、音楽やトークショーもあり。
年々人出も増え、まちが活気づくイベントになっている。