
「また、いつでもおいで」
飯嶋さんを始め、山梨の人たちは、最後にいつもそう言う。おいしいものが食べたくなったとき、心が疲れて何も考えたくなくなったとき、誰かに会いたくなったとき、いつでも帰ってきていいんだよ、と。
そういえばライターになってから「またおいで」は、よく言われる言葉のひとつになった。
未知の細道で取材した、栃木県益子の機織り職人さんや、茨城で金魚すくいを教えてくれた塾長や、栃木でほうきを作る職人さん。たくさんの人たちに「また遊びにきてね」と言ってもらい、名残惜しさをこらえて帰ってきた。そのたび、なんの縁もゆかりもなかった場所が、その人たちに会うために「帰りたい場所」になる。
勢いで飯嶋さんを訪ねてから、また会いたい、と思う人がいっぱいできたから、私は山梨を「自分の田舎」だと思えるくらい好きになったんだと思う。
この自粛期間中、娘が2歳を迎えた。ある日、飯嶋さんから届いた箱に入っていたのは、木製のカメラのおもちゃ。
「お誕生日おめでとう。つぐら市で見つけたカメラのおもちゃです。親子で一緒に取材ごっこしてくださいね。本当は直接、渡したかったけど、落ち着いたらまた山梨きてね」
ああ、はやく会いに行って大きくなった娘の姿を見てもらいたいな。ぶどう畑が広がるマルシェで娘を遊ばせて、大きな空を見上げたい。そう思うとき、やっぱり山梨は「私の田舎」になったのだと思う。
※未知の細道では、新型コロナウイルスの影響が収まるまで、ライター陣の過去の旅をつづるエッセイを掲載いたします。