
エレナさんの父はウクライナ、母はロシア出身で、エレナさんはソビエト連邦(ソ連)時代の1988年に生まれた。1991年にソ連が崩壊し、その翌年、コンピューターグラフィックスの研究をしていた父は、日本初のコンピュータ専門大学として開設された会津大学の教授として、妻、息子、エレナさんを連れて来日。当時4歳だったエレナさんはすぐに会津弁を覚え、ほかの外国人教員の子どもたちや地元の子どもたちと楽しく過ごした。
「会津の教員団地にはフランス、チュニジア、アメリカ、イタリアなどから来たたくさん外国人が住んでいました。大学を作った人たちは外国人の教員や家族を地元に根付かせようと気を遣ってくれたし、地元の人にも先生たちを大事にしようというムードがあって、いい思い出ばかりです。会津は私の原点であり、心の風景ですね。私の頭のなかは、いまだに会津弁ですから」
2000年、父が別の大学に移り、東京・八王子へ移住。好奇心旺盛なエレナさんは、小中高を通して、都会の生活も大いに満喫した。
最初の転機は、2007年。父がイギリスの大学で働くことになり、家族で渡英する。都内の高校を卒業したばかりのエレナさんは、18歳からお酒が飲めるイギリスで、ビールやシードルなどアルコールの味を覚えた。
当初の予定では現地の大学に通うはずだったが、すぐに日本の生活が恋しくなり、両親の反対を押し切ってわずか半年で帰国。両親から「それなら自分で生活しなさい」と言われ、18歳で自立を求められた。この決断がきっかけで、ある才能が開花する。
「生活するために、スカパー(スカイパーフェクトTV)の営業の仕事に就きました。電気屋さんのテレビ売り場で、テレビを買う人にスカパーを入れませんか? と声をかける店頭営業です。仕事を始めてみたら、すごく売れるんですよ。『私、こんなに営業トークができるんだ!』って自分で驚きました(笑)。18、19歳でかなり稼いでいましたね」
自分には、モノを売る才能がある。この気づきは、その後も自信の源になる。