久米城名物、昭和の時代に廃棄されたジープの前を通り過ぎる。ファンの間では「まるでアニメ映画の世界のようだ!」と、フォトスポットとして有名なのだそう。
そこかしこに堀切があり、落差は1~2メートルほどもある。また竪堀といって、登ってくる敵の横の移動を封鎖するための溝も掘られている。非常に堅牢に見える久米城だが、「いやいや、実は一度落城しているからね」と船木さん。1400年代の久米城は、佐竹氏と同じ一族の山入氏との内紛の舞台だった。「山入の乱」とも呼ばれる。佐竹氏は合戦に備えたが、文明10年(1478年)11月に、山入氏に攻め込まれ、あえなく落城。しかし翌月には佐竹氏が奪還し、以後、佐竹北家の城として栄えてきたのだという。この西の城は山入氏からの攻めを防ぐ最前線だったのだ。
敵の侵入、特に山入氏の城を監視するために設けられた物見台と呼ばれる場所に上がった。そこからは、里山の風景が広がる。この風景、もしかしたら550年前とさほど変わらないのかもしれない。
城は純粋な軍事基地であったという。平時には統治する館も里にあり、城を囲む村には住民が暮らしていたが、戦時には統治機構を城に移し、村人もみなが山城に避難して籠城したのだそうだ。「城は避難場所。もし危機になったらみんなで上がってくる。この山全体で守る、ということですね」
一方で全ての土木作業は人力だ。「村人たちがやった、ということだよね。みんな駆り出されて」と船木さん。城を作り守り固めるのが過酷な労働だったことは想像に難くない。
案内板に書かれた風景図と実際の景色を見比べながら「山入勢があの山の向こうから攻めてきたのか! ここからだとすぐに異変が分かりそうだな。でも相手からは雑木に囲まれているこちらのようすは、きっとわからなかっただろうな」などと想像が広がった。
しかし現在では城巡りする人のために、物見台からの景色がよく見えるよう、久米城跡保存会では斜面の木を伐採している。石井さんは淡々と「つい先月もそこの倒木を一人で切っていました」と、整備の苦労を語った。木は成長し続けるので、城の整備には終わりがないというわけだ。