これで城内をほとんど踏破したことになる。最後に降りながら、水源地、石切場、本城の大手口を見て、登城口へと戻ることになった。
石切場では、岩を切り出した痕跡が残っている。おそらくこの石切場から切り出された石が、城内で建物の基礎や石垣などに使われたのだろうが、実際には建物は残っていないので、今のところは詳しくはわかっていない。「どこかにその石が残っているはずなんですけどね」と石井さんは推測する。
さらに驚いたのは湧き水だ。「水が出ている!」400年以上経った今も城の命綱だった水源が生きていることに、わたしはびっくりした。「雨が降った後は、もっとすごいですよ」と石井さん。
山城では、籠城戦が基本の戦法である。だからこそ補給路が立たれても持ち堪えられるよう、山の上の城では水が最も重要なのだ。湧き水や井戸を掘り当てる技術は城の生命線だった。この湧き水があったからこそ、久米城は籠城できたのだろう。
さらに大手口を通り、朝来た場所へと辿り着いたのであった。
3時間の探訪を終え、わたしは深い感動を覚えた。最初は「ただの山」にしか見えなかったのが、石井さんの案内を聞きながら歩くことで、山の中に中世の土木技術が施されているのが、よく見えるようになった。堀切、竪堀、土塁、横堀、土橋、石切場、湧き水——すべての遺構が中世の息吹を今に伝えている、貴重な場所なのだ。
「こういうお城がいっぱいあるんですよ。日本には」という石井さん。なんと、このような中世の山城は全国に3~4万もあるそうだ。実はここが山城なのだ、という場所は、普段私たちが気づかないだけで、たぶんそこかしこにあるのだろう。山城は特別ではない。だがここ久米城は特別だ。森林の伐採から始まり、遺構の整備、散策路や安全ロープの設置、城内の案内板、無料のマップと駐車場まで。地域の人々の熱意だけによって、ここまで整備され、守られ、そして全国から人々が訪れ、愛される山城は稀なのだ。