尾根伝いに今度は東の城へと向かう。土塁や大きな堀切がある曲輪が連なっている道の向こうにある本城に、いよいよ登るのだ。
土塁とは人工的に土を盛り上げた防御壁だ。


土塁は自然の尾根と違い、明らかに人の手が加わった形状をしている。高さは1メートル以上あり、敵の侵入を物理的に阻む。堀切を掘った土を運んで盛り上げたと考えられる。
ここを振り返ると、本城から西に向かって、佐竹本家の太田城に通じる道が伸びている。この道はおそらく、落城した時の脱出の道でもあったと推定されている。「実際に太田城跡まで、この道をよく歩きますよ」と石井さん。
まっすぐに攻め込まれないように、ぐるりと巡らされた長い道をついに上がりきり、本城に辿り着いた。
頂上は開けており、館があったと推定され、土器なども出土している。
本城には平成に入って、2本の枝垂れ桜が植えられている。桜が名高い秋田県の角館から持ってこられた桜である。前述の通り、関ヶ原の戦いで、現在の茨城から遠く秋田へと国替を命ぜられた佐竹氏の子孫が今も秋田にいて、常陸太田の人々と交流が続いているのだという。
ところで船木さんに、気になっていた質問をぶつけてみることにした。旧姓の久米さんは、久米城・久米氏と何か関係があるのか? すると船木さんは「学生の頃に祖父や父から久米城の話は聞いたことがあるけれど、何か関係があるかまでは分からない……」とのことだった。
さて本城から少し降りたところにある鹿島神社を通り、次は南の出城へと向かう。