閲覧室へと入る。ここにはいま、全国で刊行されているさまざまな詩歌雑誌の最新号が配架されており、自由に手に取って見ることができる。その数は約800冊にものぼるというのだから驚きだ。文学館の収集方針について、八木澤さんは「明治以降の日本の詩、短歌、俳句、川柳の作品集やアンソロジー、評論集、研究書、随筆集、雑誌、同人誌など、詩歌に関するものを、作者の有名無名を一切問わずに収集しています」と説明する。全国から寄贈された資料がほとんどだ。
もちろん、「詩歌文学館賞」の受賞作品もすべて閲覧できる。毎年錚々たる作品集が受賞しているこの賞には、私自身が愛蔵している詩集も多い。例えば一昨年亡くなった、詩人の谷川俊太郎さんの『私』。2008年に第23回詩歌文学館賞を受賞している。折に触れて本棚から出して読む大切な詩集だ。詩が好きな私にとっては、棚を眺めているだけでわくわくするコーナーだ。
もちろん、著名な詩歌人の貴重な資料もたくさんある。それらと同じく、日本全国の津々浦々で数人のグループや個人が作った小さな雑誌や冊子までも大切に保管されている。これこそが、この文学館の最も大きな特徴なのだ。東日本大震災関連の同人誌を集めたコーナーもあり、当時の生々しい言葉の記録もここに息づいている。
それにしても、これほど膨大な数の詩歌雑誌や作品集が、日本全国で作られ続けているとは。特に詩歌の雑誌は毎月新しく作られ、全国からこの文学館に寄贈されてくるという。広い閲覧室に配架されている膨大な本を改めて見回すと、日本中にこうして詩歌を詠み、言葉を紡ぐ人がどれほどたくさんいるかをひしひしと感じる。一冊を手に取って開いてみると、各地で詩歌を作っている人々の大勢の熱量が、紙面からダイレクトに伝わってくるようだった。
「そうだ、かれんちゃんも、こうやって日本中で作品を作り続ける人たちのなかのひとりだったんだな」
目の前の本棚を見つめながら、私は彼女の作品のことを改めて思い出していた。
日本は古来、短歌や俳句などが歴史や生活に密接に関わりながら、多くの人々に詠まれ、それが現代にいたるまで連綿と続いてきた。日本の詩歌の特徴は、ほかの国と比べて「庶民性が高い」と言われているのだという。文学館によれば、「少なくとも一部の知識階級だけでなく、広く一般庶民が創作に携わっていることは間違いない」とのこと。有名無名を問わずに図書や雑誌を収集する基本方針は、そうしたこの日本の詩歌の特性を背景にしている。