深江さんから核となる被写体について、もう一回話し合いませんか、と連絡があった。僕、良いアイディアが浮かんだんです、と深江さんの落ち着いた声が電話口から伝わってくる。
あくる日、有田町の中でも特別に眺めがよく、コーヒーが美味しいともっぱらの評判の山の中にあるカフェ「木もれ陽」に向かうと、すでに深江さんはコーヒーを飲んでいた。
「初期伊万里に描かれた月は、どうでしょうかね? 」と深江さんは切り出してきた。初期伊万里とは有田焼の初期の作風・様式のことだ。江戸時代、有田焼は隣接する伊万里の港から、国内外へと積み出されたことから、古伊万里と呼ばれている。
深江さん曰く、初期伊万里の染付の器にはよく月が描かれているのだという。月といえば夜に輝くイメージであり、絵画の中では暗い背景に白く描かれることが多いが、初期伊万里においては、なぜか昼間の風景に描かれた月も多く、器の中に、藍色で丸く描かれているものも多い。
なぜ初期の有田焼に月が描かれているのかというと、ひとつの仮説がある。それは韓国の陶工たちが、故郷を偲んで月を眺めていたのではないか、という話だ。月は日本から見ても韓国から見ても同じように見える。月を見ては故郷を思い出し、器の中に月を描いたのではないだろうか。
それを裏付けることの一つに、李参平の戒名に「月」の一文字が入っていることもある。この戒名「月窓浄心居士」には、月を眺めて、望郷の念を常に持ちながらも、争いごとを水に流して、清き明るい心で異国の地を生き抜き、日本で初めて磁器を作るという大きな仕事を成し遂げた人物として李参平を讃える意味が含まれている、と言われているのだという。
なるほど、月が描かれている器か……。それは被写体として、とても良いアイディアだ! と私もすぐに思った。何より、そのような器を私自身が、間近で見てみたかった。
「九陶」のコレクションのなかにもありますから、と言って深江さんは分厚い所蔵品目録を貸してくれた。「九陶」とは、「佐賀県立九州陶磁文化館」のことだ。JR有田駅から歩いてすぐのこの美術館もまた、この町の観光名所の一つだ。陶磁器専門の美術館であるここを、町の人のみならず、陶磁器文化を愛する人々は、愛着を込めてこの略称で呼ぶ。
九陶では有田焼の磁器をはじめとした肥前窯業圏の陶磁器を中心に、九州各地の陶磁器の名品を収蔵展示している。日本の陶磁器文化の歴史を学ぶには、ぜひ訪れておいたほうがいい美術館のひとつだろう。館内は日本人のみならず、韓国や中国、あるいはヨーロッパからの旅人など、いつも多くの外国人観光客で賑わっている。
私も今回の滞在中、なんども出かけては、美しい収蔵品の数々を見ているけれど、カラフルな有田焼にばかり気を取られて、確かに染付に描かれた小さな月には気がついてなかったなあ……と思った。
そして、深江さんはもう一つ面白い提案をしてくれた。李参平の14代目に当たる子孫が今も磁器作家として有田町の内山に暮らしている。その人は李参平たち韓国陶工の原点に立ち返り、初期伊万里の風合いを目指して制作活動に励んでいる。その人の作品にも月が描かれた器がある。その人にも一度会いに行きましょう、と。

松本美枝子