あくる日の夕方、有田町内山地区の中心にある「陶祖李参平窯」に私は深江さんとお邪魔していた。第14代李参平こと、金ヶ江省平さんと奥さんの美里さんに会いに。
深江さんは二人ととても仲が良いようで、会うなり、二人と軽口を叩き合っていた。というより、深江さんは町の有田焼に関わるほとんどの人々ととても仲良しだ。そう言えば、御歳70歳になる、ある大きな窯元の会長さんが「深江くんは有田の生き字引だけんな!」と私に言っていたことがあった。その時私は「いや、生き字引って……。深江さんはまだ30代半ばなのに……会長さんと逆でしょ!」と笑ってしまったものだったが、改めて、その会長さんが言ったことは間違ってないんだよな、と思わずにはいられなかった。
内山の「陶祖李参平窯」は、省平さんの作品が展示販売されている店舗だ。初期伊万里の様式を目指した、素朴な中にも伝統的な染付の白と青の美しさが感じられる省平さんの作品が並べられている。
省平さんは笑顔が優しい風貌の持ち主で、あまり多くは語らないタイプの作家さんだ。明るくて元気な奥さんの美里さんがかわって、私に金ヶ江家の古い歴史を教えてくれた。ちなみに美里さんも有田焼の窯元の家の生まれで、李参平窯で省平さんとともに絵付などの仕事をしている。
李参平は韓国の錦江出身と伝えられているということ、そして金ヶ江という日本名は「錦江」の字をばらして作られたものだ、ということ。400年続いた金ヶ江家であるが、長い歴史の中で一度窯元をやめており、省平さんのお父さんの代から窯元として復活したということ。月の絵と戒名についての話は、確かにそのように、金ヶ江家と関係の深い古いお寺の住職から伝えられている、ということ。などなどみさとさんは丁寧に教えてくれた。
ニコニコと私たちの話を聞いていた省平さんだが「李参平たちが登って月を見ていたと伝えられている山があるよ」と不意に教えてくれた。「え、それはどこですか? 明日、さっそく登ってみたい!」と私が色めき立つと、省平さんも深江さんも「すぐ近くにあるし、今すぐ登れるよ、ものすごーく低い山だけん! 今から一緒に登ろうか」と笑って教えてくれた。
みさとさんが送り出してくれて、省平さんと深江さんと私はすぐ近所にあるという山、「観音山」へと向かった。そろそろ夕方の5時を過ぎようとしていた。

松本美枝子