未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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日本陶磁器・発祥の地 有田町に暮らす人々(後編)

初期伊万里に描かれた月の謎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.86 |10 March 2017
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#5省平さんと美里さん

町の歴史が書かれた本を見せてくれた金ケ江省平さん。

 あくる日の夕方、有田町内山地区の中心にある「陶祖李参平窯」に私は深江さんとお邪魔していた。第14代李参平こと、金ヶ江省平さんと奥さんの美里さんに会いに。
深江さんは二人ととても仲が良いようで、会うなり、二人と軽口を叩き合っていた。というより、深江さんは町の有田焼に関わるほとんどの人々ととても仲良しだ。そう言えば、御歳70歳になる、ある大きな窯元の会長さんが「深江くんは有田の生き字引だけんな!」と私に言っていたことがあった。その時私は「いや、生き字引って……。深江さんはまだ30代半ばなのに……会長さんと逆でしょ!」と笑ってしまったものだったが、改めて、その会長さんが言ったことは間違ってないんだよな、と思わずにはいられなかった。

 内山の「陶祖李参平窯」は、省平さんの作品が展示販売されている店舗だ。初期伊万里の様式を目指した、素朴な中にも伝統的な染付の白と青の美しさが感じられる省平さんの作品が並べられている。

 省平さんは笑顔が優しい風貌の持ち主で、あまり多くは語らないタイプの作家さんだ。明るくて元気な奥さんの美里さんがかわって、私に金ヶ江家の古い歴史を教えてくれた。ちなみに美里さんも有田焼の窯元の家の生まれで、李参平窯で省平さんとともに絵付などの仕事をしている。
李参平は韓国の錦江出身と伝えられているということ、そして金ヶ江という日本名は「錦江」の字をばらして作られたものだ、ということ。400年続いた金ヶ江家であるが、長い歴史の中で一度窯元をやめており、省平さんのお父さんの代から窯元として復活したということ。月の絵と戒名についての話は、確かにそのように、金ヶ江家と関係の深い古いお寺の住職から伝えられている、ということ。などなどみさとさんは丁寧に教えてくれた。

 ニコニコと私たちの話を聞いていた省平さんだが「李参平たちが登って月を見ていたと伝えられている山があるよ」と不意に教えてくれた。「え、それはどこですか? 明日、さっそく登ってみたい!」と私が色めき立つと、省平さんも深江さんも「すぐ近くにあるし、今すぐ登れるよ、ものすごーく低い山だけん! 今から一緒に登ろうか」と笑って教えてくれた。

 みさとさんが送り出してくれて、省平さんと深江さんと私はすぐ近所にあるという山、「観音山」へと向かった。そろそろ夕方の5時を過ぎようとしていた。

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未知の細道 No.86

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。