正社員になってからは、さらに仕事に打ち込んだ。不要だと判断されたら「明日から来なくていい」と宣告される職場を、杉山さんは「アップ オア アウト。(地位が)上がるか、辞めるか」と表現する。そこで「死ぬ気」で働き、アソシエイト、シニアアソシエイトと出世の階段を登り始めた。そうして間もなく管理職のマネージャーになろうかというタイミングで、杉山さんの人生に地殻変動が起きた。
ある日曜日の朝、全国紙『ウォールストリートジャーナル』を読んでいたら、ピーナッツバターの特集が組まれていた。なにげなく記事を読んでいたら、「ENSHU」という単語が目に留まった。ん? と思って読み進めると、1904年にセントルイスで開催された万博でピーナッツの品評会が開催され、ENSHUの落花生が世界一に輝いた」と書かれていた。
ENSHUとは遠州、すなわち杉山さんの故郷浜松を含む静岡西部を指す。全体の特集のなかでほんの一部、わずか数行のこの記事が、エリート会計士として成り上がろうとしていた杉山さんの人生を変えた。
「ENSHUっていう単語をみたのが、とにかくすごい衝撃的で。日本人として誇らしく思ったし、熱くなったんですよ」
アメリカで長く暮らしているうちに、不思議に思うことがあった。ニューヨークは多様な人種と宗教が交錯し、厳然とした対立もある土地なのに、なんでどの家庭にもピーナツバターがあるのだろう?
アメリカで長く働いているうちに、繊細な仕事と高いクオリティで世界的に評価の高い「日本のモノづくり」に興味を持った。名のある企業のブランドの下で会計士というサービス業を続けているうちに、「もっとタンジブルなもので勝負したい、自分でものを作ってみたい」という思いが募っていた。
このふたつの要素と「ENSHU」の記事が唐突に、激しく化学反応を起こし、杉山さんは新聞を読みながら閃いた。
「世界で一番をとった遠州の落花生でピーナッツバターを作ろう!」

川内イオ