未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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「日本一」の称号を受け継ぐ茶師の挑戦

究極の茶葉と秘伝の園

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.115 |10 JUNE 2018
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#4山を「開拓」

東頭の茶園に至る道は、普通に車で走っていてもわからない。

 そもそも、郁美さんはなぜ辿り着くのも一苦労の山中でお茶を作り始めたのだろう?
 孫の小杉さんによると「もともと所有していた山で、南向きの斜面や隔離された環境が気に入ったと聞いています。ここは冬にはマイナス十何度にもなるし、昼と夜の寒暖の差も激しいところです。この厳しい環境のおかげで茶樹がじわじわ成長しながら鍛えられて木に力強さが出るんです」とのこと。

 しかし、山を開墾するのは苦難の道のりだったようだ。まだ現役で東頭の茶摘みをしている郁美さんの妻、若子さんは、こう振り返る。

「農協の人にここに植えるといったら、どうだかな? と言われたね。最初は苦労しただよ。モノラック(機材や人間を運ぶモノレール。山間地で利用される)ができる前は、荷物を全部背負って山に登っていたからね」

 一緒に作業に当たった築地勝美さんの妻、美幸さんも頷く。

「本当の山林だったから木を伐採して、切り株を全部外に出してね。岩もあったから、それも運びだして。木を伐採すると山崩れも起こり得るから、その後、水はけをよくするために斜面に岩を敷いてから、土をかぶせてね。最初は土にもなんの養分もないもんだから、牛の堆肥も背負ってあげたしね。あれは開墾というより開拓だったよ(笑)」

 1983年頃、郁美さんを筆頭に築地家総動員で山を切り拓いたが、それでも整地が終わるまでに2、3年かかったという。ようやく茶の栽培を始めた頃、郁美さんと若子さんの娘である幸代さんが小杉さんを出産。郁美さんは幼い小杉さんをおんぶして山を登り、茶園に連れてくることもあったそうだ。

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未知の細道 No.115

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。