そもそも、郁美さんはなぜ辿り着くのも一苦労の山中でお茶を作り始めたのだろう?
孫の小杉さんによると「もともと所有していた山で、南向きの斜面や隔離された環境が気に入ったと聞いています。ここは冬にはマイナス十何度にもなるし、昼と夜の寒暖の差も激しいところです。この厳しい環境のおかげで茶樹がじわじわ成長しながら鍛えられて木に力強さが出るんです」とのこと。
しかし、山を開墾するのは苦難の道のりだったようだ。まだ現役で東頭の茶摘みをしている郁美さんの妻、若子さんは、こう振り返る。
「農協の人にここに植えるといったら、どうだかな? と言われたね。最初は苦労しただよ。モノラック(機材や人間を運ぶモノレール。山間地で利用される)ができる前は、荷物を全部背負って山に登っていたからね」
一緒に作業に当たった築地勝美さんの妻、美幸さんも頷く。
「本当の山林だったから木を伐採して、切り株を全部外に出してね。岩もあったから、それも運びだして。木を伐採すると山崩れも起こり得るから、その後、水はけをよくするために斜面に岩を敷いてから、土をかぶせてね。最初は土にもなんの養分もないもんだから、牛の堆肥も背負ってあげたしね。あれは開墾というより開拓だったよ(笑)」
1983年頃、郁美さんを筆頭に築地家総動員で山を切り拓いたが、それでも整地が終わるまでに2、3年かかったという。ようやく茶の栽培を始めた頃、郁美さんと若子さんの娘である幸代さんが小杉さんを出産。郁美さんは幼い小杉さんをおんぶして山を登り、茶園に連れてくることもあったそうだ。

川内イオ