
帰国後の2012年、日系の大手ファストファッションブランド に就職した。旅の間、「興味本位で」ロンドンとニューヨークの店舗に出向いた際に、「日本のサービス、商品の質はすごい」「自分も将来は海外で事業にトライしたい」と感じたのが志望理由だった。
就職から1年半を経て、宮崎の店舗で店長に就いた。袴田さんによると、その会社は半年間で結果を出してステップアップするシステムで、成果を残した人から階段を駆け上がっていく。袴田さんもそのラインに乗り、宮崎で売り上げを伸ばして、半年後に鹿児島の店舗に移動。そこでも成果を出し、次に熊本の新店舗の立ち上げに携わった。
その店はスタッフが120名、レジが10台並ぶような巨大な店舗で、月々の売り上げが、宮崎、鹿児島時代のおよそ3倍。社会人3年目にしてこれだけの店舗を任させるのだから、期待されていたのだろう。しかし、袴田さんの心は離れた。
「とにかく忙しくて、お客さんの顔を見ている暇もない。大量生産大量消費の最前線に立っている気がして、空しくなっちゃったんです。宮崎、鹿児島にいた時は、売り上げが3分の1ぐらいの小さなお店だったので、お客さんとの対話もあるし、ひとりひとりに向き合って商売できた。自分はそっちのほうが肌に合っているなって」
もうひとつ、別の想いも湧いてきた。
「うちの会社では、本社から来た資料を自分なりにかみ砕いてお客さんに説明するしかありません。そうじゃなくて、自分の手でこだわりを持って作ったものを、自分の言葉で届けられたら一番いいよなと思ったんです」
自分が作れるもの、作りたいものってなんだろう。考え始めて、思い浮かんだのが旅の途中で好きになったビールだった。社会人になってからも海外のビールを好んで飲み歩いていた袴田さんは、こう思った。
「ビールなら、情熱を持って作って、届けられるんじゃないか」