未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
161

『旅の思い出』編 盛岡で過ごした7回の夏

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.161 |15 May 2020
この記事をはじめから読む

#2

盛岡での仕事は、2009年に始まった。岩手大学の教育学部芸術文化課程で、写真とデザインのワークショップを行うという依頼で、デザイナーの石井一十三さんも一緒だった。

盛岡駅からバスに乗り、「舘坂」というバス停で降りて、北上川にかかる舘坂橋を渡ると、岩手大学が見えてくる。構内のはずれにある教員向けの宿舎「桐丘荘」に滞在しながら計3回の授業を行うのだ。桐丘荘の管理人のおばさんは感じが良く、毎朝ここから、農学部の植物園を通って教室に通った。

最初の年、教室の中には、30人くらいの学生がいただろうか。授業では、グループで協働して写真作品を制作することにした。あらかじめ私たちが考えておいたお題について、数日かけてグループごとに共同制作する。テーマは決まっている代わりに、制作方法は自由とした。グループ全員が一つのテーマに向けて撮ってきた写真を混ぜて合わせて作品を作ってもいいし、モデルやカメラマン、編集、ディレクターなどの役割を分担して作ってもいい。作品の見せ方も自由だ。とにかく授業外の時間も含めて、最終日までにみんなで協力して作品を作ってくること。テーマに沿っていれば、いつどこで何を撮影してきても構わない。そして最後の授業でプレゼンテーションするのだ。
お題は「作品に必ず全員が写っていること」とか「恋」とか、なるべく堅苦しくなく、かつバラバラな内容にした。グループ分けも作品のテーマも、くじ引きで決めた。 

くじで分けられた学生たちは、さっそく話し合いに取り掛かった。クラスで初めて言葉を交わしあう学生同士も多かったのだろう、どのチームも思った以上に楽しそうに見えた。

学生がどんな街に住んでいて、どんな写真を撮ってくるのか知りたくて、授業の合間に、街を出て歩くことにした。授業は一日、1コマくらいだったので、滞在中は自由時間がけっこうあったのだ。
8月の盛岡は涼しく、過ごしやすい。それでも以前と比べるとだいぶ暑くなった、と盛岡の人たちは言うけれど、街を歩くのは、さほど苦ではなかった。

第二次世界大戦での空襲被害が少なかったこの街には古い建造物がいくつも残っていた。そのなかを北上川とその支流、中津川が流れ、街にはいくつも橋がかかっている。そのうち「中の橋」の周辺は、城跡など名所旧蹟が集まっていた。そしてなんと言っても私が大好きな宮沢賢治や石川啄木が過ごした街ということで、いたるところにその資料があり、それを巡るだけでも楽しかった。
夜になると、中ノ橋通りや、川沿いの材木町のほうへ、音楽学のK先生たちとご飯を食べに行った。盛岡というと冷麺やわんこ蕎麦を真っ先に思い出す人が多いかもしれないが、実は立派なバーが多いのも、初めて知った。素敵なバーの素敵なバーテン達は、ちゃんと蝶ネクタイをしているが、言葉は岩手の優しい訛りで、それもとても良いのだった。

そして授業の最終日、学生たちはそれぞれ趣向を凝らしたプレゼンテーションで作品を披露してくれた。どのチームも協働を楽しんで、制作したことが伝わってきた。こうして1年目はあっという間に終わっていった。

このエントリーをはてなブックマークに追加

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。