盛岡に来るようになって、だいぶ時間が過ぎた。
いつのまにか桐丘荘では、親切な管理人のおばさんを見かけなくなっていた。理由はよくわからない。
授業をして学生たちと語らい、その合間に教育学部の棟から少し離れた農学部の植物園やヤギ、それから馬術部の馬たちを見回るのが日課になった。授業が終われば、橋を渡って川を越え、お気に入りの店を一軒ずつ回りながら町を歩く。それからまた橋を渡って川を越え、桐丘荘へ戻る。その繰り返し。
街なかに詳しくなってきたのと同時に、今度は川のほとりの藪のなかを一人で探検するようになった。早朝、授業の前に舘坂橋から夕顔瀬橋に向かって川べりを歩く。小さな湿地帯があって、鳥の巣がたくさんある。滅多に来ないのだろう、間近の人間に驚いて、水鳥が飛び立つ。橋の下にこんなに豊かな自然があるとは、何年も橋の上を歩いていて気づかなかった。
街よりも川の中の藪をよく歩いた年を最後に、盛岡へ行く仕事はなくなった。私と石井さんにゲスト授業を依頼してくれた非常勤講師が、病気で亡くなったからだった。