盛岡で夏を過ごさなくなってから、もう5年経つ。
その間、盛岡の古い店が少しずつ閉店になっていくニュースを、時々目にした。大好きだった盛岡正食普及会も、岩手県公会堂の中にあったオムライスがおいしいレストランも、通ると必ず覗いてしまう老舗のお餅屋も、次こそは絶対に行こうと思っていたシャンソンのカフェも、今はもうないのだそうだ。どれもこれも盛岡の街を形作ってきたピースの一つだ。人や街が変わっていくことを止めることはできないのだから、仕方がないのかもしれないが、とても寂しい。
だが自分の故郷でもないのに、こんなにも寂しく思えることが、きっと盛岡の一番の良さなのかもしれない。7年も通ううちに盛岡の街並みや食べ物は、私にとって故郷のもののようになってしまったのだ。
これを書くにあたって、盛岡の街の現在を調べていたら、行けなかったカフェの跡地に、その店が好きだった人が新しいカフェを出したらしい、ということがわかった。なんだかすてきな話だ。盛岡が大好きな人が、たくさんいるということだ。当たり前だけど、盛岡が好きなのは私ひとりじゃないのだ。とても嬉しい。
だからいつかまた、自由に外に出かけられるようになったら、次はその店に行ってみようと思う。いつかまた盛岡の夏に。
(未知の細道では、新型コロナウイルスの影響が収まるまで、ライター陣の過去の旅をつづるエッセイを掲載いたします)