未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
161

『旅の思い出』編 盛岡で過ごした7回の夏

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.161 |15 May 2020
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#5

それでも盛岡の街には、初めて来た時から変わらないものが、まだまだたくさんあった。川がある街の風景、お気に入りのお店が連なる街並みは、行くたびにホッとする。そして私は震災以後も、毎年8月には岩手大学に通い続けた。

盛岡の街には、バーと並んで、すばらしい喫茶店も多い。個人経営の名店が多く、盛岡に大手チェーン店が根付かないのも、そのためだと言われている。いちばん好きなのは北上川のそば、材木町にある民芸の店「光原社」のなかの可否館。コーヒーもケーキも必ず頼んで、そのあと店の前の川を見にいくのがお決まりのコース。そのほか「機屋」や「クラムボン」もお気に入りだった。
レコードでシャンソンが聞けるという有名なカフェにも行きたかったのだが、ついに一度も行けなかったのが心残りだ。

もう一つ。「盛岡正食普及会」という有名な食料品店があった。ここの名物は、古い土蔵の店構えと、めちゃくちゃ硬い「ロシアビスケット」。私の盛岡土産は、好きな喫茶店のコーヒー豆と、ここのビスケットと決まっていた。
家族、特に母方の祖父は、このビスケットを気に入っていて「味があるねえ」と言っては、ちびちび食べていた。固すぎて、年寄りじゃなくても、ちびちびとしか食べられないのである。

祖父は震災の前年に99歳で死んだが、その後も盛岡正食普及会に行くたびに、祖父が震災の混乱を経験することなく死んで、よかったなと心から思った。
そしてこの街も震災から1年、2年と経つうちに、少しずつその影が薄まっていったような気がする。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
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