翌日は、霧ヶ峰に行くことになっていた。Sさんは痛みでまともに立つこともできず、車のなかで横になる。「私のことはいいから、楽しんできて」という映画のヒロインのような気遣いは、プチ嵐級の土砂降りで無駄になった。
下界は晴れてたのに、霧ヶ峰だけ?Why、なぜに?とため息をつきながら、また山を下る。その間にまた、気持ち悪い、吐きそうという人がひとり、ふたり……。そしてついに、わが娘が吐いてしまう。急いで路肩に車を止め、ひとまず休憩。
とにかく落ち着いた場所に行こうと、廃材を使ったダイナミックな建物がユニークなレストラン、カナディアンファームへ。たどり着いた時には、変わらず元気な人が僕の妻ともうひとり、Mちゃんだけだった。僕の運転が悪い可能性も無きにしも非ずだが、ノリノリのトラック野郎から、病院の送迎サービスに転職したような気分だった。
カナディアンファームは広大な敷地のなかにいくつかセルフビルドの建物があり、歩き回るのも楽しいんだけど、散策に行ったのは僕と妻と娘、Mちゃんの4人。あとの3人はベンチで横になったり、ハンモックに揺られていた。3人とも青白い顔をしながら、互いに「大丈夫?」「お水飲む?」と気遣い合っていた。
少し休んで回復した後も、咲いている花や足元の植物を愛でたりしながら過ごす。東京から出発する時のワクワク、ハツラツした感じはどこへやら。ハードなことはなにもせず、車で移動していただけなのに、みんなぐったり。歩くスピードも、牛より遅い。
そのうちみんな、自分たちのげっそり感が面白くなったようで、「私たち、弱すぎだよね」「ヨレヨレのおばあちゃんたちのツアーみたいだよね」と盛り上がった。元気なふたりが介護者で、僕は雇われ運転手、僕が運転していたバンについた名前が「ほほえみ号」。
翌日、ほほえみ号の乗組員2名が先に帰京し、妻、娘、義理の妹、Fさんと4人で、長野県上田市の野倉集落に向かった。
外国人として初めてチベットの医科大学を卒業し、薬草の処方などを主とするチベットの伝統的な医学を習得した日本で唯一のチベット医、小川康さんがそこで薬房「森のくすり塾」を構えているのだ。
上田方面は、八ヶ岳から山を越えた反対側にある。リフレッシュに来たはずが、妻以外はみなこの2日間で弱っていたので、慎重なノロノロ運転で目的地を目指した。
ウネウネした狭い山道を抜け、2時間ほどして到着した小川さんの薬房は、山々に囲まれた日本じゃないような景色のなかにあった。
顔色が悪かった義妹とFさん、薬房についたとたんなぜか少し元気になったようで、小川さんがセレクトした漢方薬を爆買い。3泊4日のこの旅で2人のテンションが一番上がっているように見えた。
娘は木の香りがする薬房でホッとしたのか、ぐっすり寝てしまった。今振り返れば、最終目的地が薬房というのも「ほほえみ号」らしい。
(チベット医・小川さんの記事は「信州薬草談義 日本唯一のチベット医と山の古道を歩く」をぜひご一読ください)

このほほえみツアー、よっぽど印象深かったようで、旅のメンバーと顔を合わせると、今でもよく話題にのぼる。そして、みんな口を揃える。
「また、ほほえみツアーしたいよね!」
その時は、もうひとり、運転手求む!
※未知の細道では、新型コロナウイルスの影響が収まるまで、ライター陣の過去の旅をつづるエッセイを掲載いたします。