中に入ると、淡い光がクルクルと回る優しげな空間に、たくさんのハガキや手紙がまるで波間に漂流するようにゆらゆらと揺れていた。
両親への感謝を綴ったものもあれば、亡くなった友人や別れた恋人に当てたもの、未来の自分、変わったところでは大切な思い出の品、抜けてしまった自分の歯、宇宙空間を漂うボイジャー一号に当てた手紙なんかもある。
あの日のお姉ちゃんへ
わたしの人生でお姉ちゃん以上に私を笑わせてくれた人はいません。今はなんだか昔のように話はできないけれど、これから生きる私を支えてくれるのはあの日のお姉ちゃんです。ありがとう。
100年後にわたしと同じ本を借りる人へ
2014年でも、この街に図書館はありますか?貸出カードに書いてある私の名前を見てどんな人か想像したりしますか? (中略)
100年後のあなたに。
同じ本が好きだから、きっと私たち友達になれるかもしれないね。
(『漂流郵便局 届出のわらかない手紙、あずかります』 久保田沙耶著 小学館より)
ゆっくりと時間をかけて、たくさんの手紙を読んだ。普段、メールや携帯などのデジタルな字ばかり見ている私には、手書きの文字を読むだけでも胸がいっぱいになった。
この素晴らしい作品を作ったのは、現代美術家の久保田沙耶さん。
アートとはいえ、れっきとした「郵便局長」もいるのが面白い。粟島郵便局10代目局長の中田勝久さんである。ここが開局する際に、「漂流郵便局の局長になって欲しい」という久保田さんの突飛すぎる依頼に、中田さんは驚きながら断ったそうだ。しかし、久保田さんの熱意が通じ、また同時に届け先のない郵便を預かるというコンセプトに惹かれ、引き受けた。
それから、多い日は200通もの手紙がここに流れ着くようになった。今までに預かった手紙は4万通を超えた(2020年3月時点)。
大勢の人の届かぬ思いを包み込みながら、時を刻み続ける《漂流郵便局》。
実際に訪れて手紙を読むもよし、届け先のない手紙を送るのもよし。局長とじっくりお話するのもよし。この作品の楽しみ方はそのひと次第だ。
いまコロナ感染拡大の影響もあり、あまり遠くに出かけられなくなった。ステイ・ホーム期間中、私はちょっとした気まぐれで、Googleのストリートビュー機能を利用して、パリを散策した。パソコンの画面上でセーヌ川沿いを進み、オルセー美術館を訪問し、収蔵する美術作品を見てみた。しかし、それは、息を弾ませ、胸をドキドキさせながら眺めたオルセー美術館とは全くの別物だった。ああ、早く日本全国の美術館巡りを再開したいという切なる願いをこめながら、この原稿を終わりにしたい。

※未知の細道では、新型コロナウイルスの影響が収まるまで、ライター陣の過去の旅をつづるエッセイを掲載いたします。