廊下を進むと、心臓音が爆音で鳴り響く場所があった。ボルタンスキーは長年、人間の心臓音を収集するプロジェクトを行なっており、香川県豊島の《心臓音のアーカイブ》では、約7万人もの心臓音を聞くことができる。だから、いま聞いているこの心臓音も彼が収集したうちのひとつなのだろう。
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
廊下を進むにつれ、心臓音はどんどん大きくなり、最後は耳を塞ぎたいほどの音量になった。薄暗い学校と爆音の心臓音が相まって、ホラー映画に入り込んでしまったような感覚を覚える。
怖い……。けっこう本気で怖いじゃないか。
胸に抱いた娘が泣きださないか心配だったが、娘は胎児のころに心臓音を聞きなれているせいか、ただ心地好さそうにしていた。
その後も白く輝く棺桶らしきものが燦然と並ぶ教室や、実際にこの集落で使われていた古びた品々が集められた小部屋などが続く。
一見すると古い記憶が閉じ込められた学校は、恐怖を駆り立てる装置のようにも感じるが、私はなぜだかこの《最後の教室》がとても好きなのだ。作品と建物のハーモニーが絶妙で、視覚だけではなく、聴覚、嗅覚を通じ、全身に訴えかける独特の体験は、なかなか忘れがたい。この3年後にもう一度見に行ったほどなので、よっぽど好きなのだろう。
ボルタンスキー自身が「学校」という場所に、どのようなイメージを持っているのかは謎である。もしかしたら、具体的な思い出はあまりないのかもしれない。
メディアのインタビューで語ったところよると、彼の父親はユダヤ系で、第二次世界大戦中は2年も床下で生活をしていた。両親は家族が引き離されることを恐れ、戦争が終わっても家族はひとつの部屋に固まって眠りについた。おかげで、ボルタンスキーは学校にも通わず、初めて通りを一人で歩いたのは18才の時だったと語っている。
そんな彼が、作品づくりのために十日町を訪れた日は、雪深い新潟においても記録的な大雪の日だった。彼は、雪の中に深く閉ざされていた古い学校を見つけた。そうして生まれた作品がこの《最後の教室》だ。
近隣には、以前「未知の細道」でも紹介した《夢の家》など、ユニークなアートスポットも多く、美しい棚田や廃校を利用した宿泊施設もあり、わざわざ行く価値のある場所である。