
さて今、わたしは、茨城県の過疎化が進む地域に「研究ができるアートセンターをつくる!」という地域おこし事業をやっている。いわゆる「地域おこし協力隊」というやつだ。
私が地域おこし協力隊員になったのは、2018年の秋のこと。「茨城県北地域に〈県北芸術村推進事業〉を起こし、地域おこしを担うアーティストを募集する」というチラシを街で見かけたのがきっかけだ。
そのさらに2年前のこと。茨城県では、「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」という大規模な国際芸術祭が開催された。国内外から85組の現代アーティストが招聘され、茨城県北地域の美術館、さらには街なかや大自然の中など、さまざまな環境に作品を設置した。そしてガラリと変わった茨城県北地域の景観とアートを見に77万もの人々が訪れたのである。私も招聘されたアーティストの一人だ。
その頃の私は各地の芸術祭に参加することが、少しずつ増えてきたころだった。だけど自分の生まれ故郷・茨城で、大規模な国際芸術祭が開催されるなどとは、それまで予想したこともなかった。だからその年の秋に、茨城県全体がアートで大いに盛り上がったことは、作家として参加した以上に、一県民として、とても嬉しかった。
その芸術祭が行われた地域で、今度は〈県北芸術村推進事業〉をやる、というのである。よし、これは私がやろう、と思った。私はすぐに応募し、晴れて〈アーティストの地域おこし協力隊員〉になったのであった。
さて、大規模な国際芸術祭を終えたばかりの茨城県の〈県北芸術村推進事業〉のコンセプトとは、芸術祭のような大規模なイベントを、さらに〈持続可能なもの〉にしていく、というものであった。
それなら「地域の研究室」みたいな場所を作ろう、と私は思い立った。そして、アーティストが地元の人と一緒に楽しく作品を作っていくようなイベント型のプロジェクトではなく、もう少し地道な地域リサーチをベースにした作品を、地域の人たちとともに制作していくのだ。
地域の人たちもアーティストの調査や研究に加われば、アート・プロジェクトに楽しんで参加することから、もう一歩踏み込み、さらに主体的に関わることができるかもしれない。そんな地域発のアートセンターを作っていこう、と思ったのだった。
さっそく協力隊事務所として借りてもらった大きな建物を、研究活動も制作活動もでき、いずれは展覧会やイベントなどもできるような巨大なスタジオにすることにした。そしてそこを「メゾン・ケンポク」と名付けた。「茨城県北の家(メゾン)」という意味だ。
近い未来、この家は、さまざまな人たちが集うアートセンターになる。そんなことを考えながら「メゾン・ケンポク」を立ち上げてしばらく経ったころ、一人の若手研究者の卵が、神戸から茨城に帰ってきていた。