
この読書会でやることは、シンプルに3つだけ。
まず事前に、4人全員が必ず課題の論文を読んでくること。難しい論文のときは20ページとか、範囲を短く区切って読む。事前に論文をきちんと読んでくることは、読書会に参加する最低条件だ。そしてできれば、その論文の関連資料もできるだけ多く読んでくるのが望ましい。
そして、毎回担当者を決めて、課題のレジュメをつくる。それには論文の内容を段落ごとに要約し、担当者の所見も述べる。わからない部分は哲学の事典や関連書籍などを使って調べ、注釈を入れる。調べてもどうしてもわからないところは、何がわからないかも明記する。
当日は作ったレジュメに沿って担当者が発表し、ほかのメンバーと質疑応答を交わしながら、論文に書かれてあることをできるだけ正確に理解できるよう、著者の考えを批評的に読んでいくのだ。だが指導者がいないので結論をまとめるのは難しい。けれども、例えその時に結論が出なくても、続きを読んでみて、ある時、急に全員一致で納得できることもある。もちろん、ずっとわからないままの時も、よくあるのだが……。
ただこれだけのことなんだけれど、これをきっちりこなすのは、かなり難しい。長い論文を読むのも、前日までにレジュメを作るのも、当日ディスカッションに参加するのも、一日二日の準備では、到底できない。参加する人たち全員が毎日ちょっとずつ、仕事や生活の合間に自主勉強を継続することで、はじめて成り立つ勉強会なのだ。
メンバーの一人、海野さんは水戸の出身で、美術の教員を続けながらずっと現代美術に関わってきた65歳の美術家だ。茨城県北芸術祭のボランティアなどもしていたので、顔見知りではあった。海野さんはSNSの情報をみて、すぐに「こういう企画を待ってました! 参加します!」と書き込んでくれたのだ。メンバーの中では舘さんと肩を並べるくらいの読書家であり、すぐに、みんな海野さんの知識を頼るようになった。
それから、もうひとりの根本聡子さんは、神戸の街で生まれ育ち、夫の故郷である常陸太田に住むようになった51歳の陶芸家だ。常陸太田市の生涯学習施設で陶芸の先生をしている。モダンで洒落た絵付けの器をつくる一方、抽象的で重厚な陶のオブジェも作っていて、相反する二つの作風を併せ持つ、かっこ良くてたくましい感じの陶芸家だった。
そして不思議な縁だが、なんと舘さんが通っていた美術大学の出身で、二人は年が離れた先輩後輩の間柄、ということになる。「私には難しいかもしれないから、とりあえず最初は見学でね!」と言ってきた聡子さんだが、一回目から毎回、欠かさず真剣に予習して取り組んできていた。
最初に舘さんが基本的なレジュメの作り方や発表の仕方を教えてくれて、それをほかの3人が、見よう見まねで担当する。そんなふうにして勉強会を続けていったのだった。