学ぶことに、遅すぎるということはないし、無駄なこともひとつもない。神戸の旅から戻って、私は確信した。読書会のメンバーのやる気はますます高まり、戻ってからも私たち4人は途切れることなく、「メゾン・ケンポクの読書会」を続けた。帰ってから、少しずつ新しい参加者も増えてきた。
時々「こんなことが地域おこしの活動になるのか?」と、誰かに突っ込まれたらどうしよう……、と不安になる時もあったが、日々いきいきと論文を読み、疑問に思ったことは、親子ほど年の離れた舘さんにどんどん質問し「次はこの本が読みたい!」と提案してくれる海野さんと聡子さんを見ていると、「理論を学ぶ集団」を作ることは、長い目で見れば、きっと地域の力につながるはずだ、と思えた。実際、年が明けると舘さんはもちろんのこと、海野さんや聡子さんも、私がやろうとしているアート・プロジェクトの企画を、一緒に考えてくれるようになってきていた。
そして今年の春、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下でさえ、この読書会は途切れることがなかった。出かけられなければ、オンラインでやろう! となったのだ。それまでビデオ会議アプリをほとんど使ったことのない海野さんや聡子さん、ほかのメンバーたちも、使い方を覚えて、今では誰もがビデオ会議アプリを使いこなして、オンライン読書会ができるようになっている。
一つだけ悲しいことがあった。この夏の終わりに、急な病で根本聡子さんが亡くなった。病がわかってから、たったの2カ月。早すぎる死だった。周りにはそのことを知らせず聡子さんは闘病し、そして家族葬で送り出されたので、私たちは、夏の始まりに、メゾン・ケンポクに元気な姿でやってきた聡子さんの姿しか知らない。
以千子ちゃんがあとで教えてくれた。母は、毎日家で一生懸命難しいことを勉強していて、とても楽しそうだった、と。棺の中にレジュメもいれてあげました、と。
暑かった夏が終わって、また秋がやってきた。神戸から帰って、もう1年が経とうとしている。「今思うと、ユベルマンの論文は、聡子さんに重なるなあ」と海野さんが言った。そうだ。あの4枚の写真は、とらわれた人たちから、私たち外の世界のものたちへと託された希望の象徴だったな、と私は思い出した。
読書会を続けてみて、よくわかったことが一つある。誰かと一緒に、とてもハードに勉強すると、なぜか固い友情で結ばれる、ということだ。理由はわからない。でも私たちは最初に会った日より、確実に良い仲間になっていた。私たち「メゾン・ケンポクの読書会」のメンバーを繋ぐのは、「勉強すること」だ。そして、これからも私たちが共にやれることといえば、できるだけ長く、懸命に勉強していくこと、ただそれだけだ。
またみんなで、どこかに視察の旅に出ようか。
私たちは、ひとつ論文を読み終えるたびに言っている。
※未知の細道では、新型コロナウイルスの影響が収まるまで、ライター陣の過去の旅をつづるエッセイを掲載いたします。