
舘かほるさんは、神戸にある大学院を去年の春に卒業して故郷の水戸市に戻り、これから在野で研究活動を続けようとしている、28歳の自治体職員だ。
私は舘さんが高校生の頃から良く知っている。私の写真のワークショップに参加していたからだ。彼女は年の離れた友達であり、最初に写真を教えた、教え子のようなものでもある。高校卒業後は、写真を学ぶために関西の美術大学に進学し、その後は大学院で写真論の研究をしてきた。その舘さんから「地元に帰って、働きながら写真の研究を続ける」と聞いたとき、私は嬉しかった。
帰ってきてすぐに舘さんは「美枝子さん、二人で美学のクリティカル・リーディングをやりませんか」と持ちかけてきた。舘さんと一緒に、本腰を入れて勉強することは良いことだなと思い、二つ返事で引き受けた。
しかし、ふと「待てよ……。どうせやるなら、これをメゾン・ケンポクのプログラムにできないだろうか?」と、私は思った。私たちと一緒に論文を読みたい人を募集し、メゾン・ケンポクでのオープンな読書会として、地域の人たちに声をかけるのはどうだろうか? と舘さんに相談した。
もし実現したら、地域のアートセンター「メゾン・ケンポク」の中心的な活動になるだろう。そしてこれは言わなかったけど、その活動がいつか舘さんの研究や、私の作品制作の支えになることもあるかもしれない。心の中で、そんなこともちょっと思っていた。
しかし「参加者を募集するのはいいけれど、美学の論文を読む会に、地域の人が集まりますかねえ……」と、舘さんは思案顔になった。
冷静に考えればそうだ。小説や啓蒙書の読書会ならともかく「美学の基礎論文を読む」という研究会に人がくるのだろうか? しかもここは学生や研究者が住んでいるような都市部ではない。地域おこし協力隊を設置する過疎地域である。そして、そもそも学府や研究機関以外で、日常的に論文を読みたい人って、いるのだろうか……。
しかし、ダメ元でSNS上に情報を流すことにした。もし誰も来なかったら、予定どおり二人で論文を読めばいいや……。それくらいの気持ちだった。
すると、である! 情報を出したその日のうちに、さっそく二人の申し込みがあったのだ。それが海野輝雄さんと、根本聡子さんだった。
いやー、世の中にはほんとに奇特な人たちがいるもんだ……と、自ら募集しておきながら、妙に感心し、そして心の底から嬉しかった。「美学を勉強したい」と考えている人が、私たちのすぐ近くにいた! ということに。
こうして二週に一度、よく知らない者同士がメゾン・ケンポクに集まり、論文を読む日々が始まったのである。それは苦しくて楽しい勉強の日々の幕開けでもあった。