未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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織田信長も食した富山湾のキトキトな魚を求めて 深夜2時半、定置網漁船の旅へ

文= きえフェルナンデス
写真= きえフェルナンデス
未知の細道 No.293 |25 November 2025
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#5定置網に人生を捧げた男

鹿渡島定置を率いる、酒井秀信さん

鹿渡島定置は酒井社長が開業してから35年が経つ。漁場自体は100年の歴史があるという。

富山県氷見市の定置網漁を営む家で生まれた酒井社長は、幼い頃から定置網漁師になると決めていた。大学卒業後、富山湾最大の定置網漁場「佐々波鰤網(さざなみぶりあみ)」で16年間働いた。

「当時の社長が、企業の人や知り合いを船に乗せていたんです」と酒井社長は振り返る。

「昔は昼間も漁に出ていました。体験した人がみんな、『うわあ、よかった』、『感動した』とそりゃもう、喜んでね。それ見てぼく、いつか独立したら一般向けの見学体験を絶対やろうって心に決めてたんですよ」

転機は1991年に訪れた。その年、台風19号が富山湾に壊滅的な被害をもたらし、鹿渡島定置の前経営者が再建を断念。知人だった前経営者から漁場を引き継ぎ、41歳で独立を果たした。

一般客を乗船させるため、通常の小型船舶操縦士免許に加えて「特定操縦免許」も取得。この免許がなければ観光客を船に乗せることができない。現在、七尾市で一般向け乗船体験を提供できるのは鹿渡島定置のみだ。……ということは、私が目の当たりにした海の男たちのプロフェッショナルな仕事の流儀も、この体験でしか味わえない。そう思うと、船上でガツンと注意されたことも貴重な気がして嬉しくなる。

2014年には、地域活性化や漁業技術向上への貢献が認められ、「内閣総理大臣賞」を受賞。そこからは、国内外から多くの視察や見学者が訪れた。海外からは、活け締めなどの技術を学びに来る見学者など、漁業文化への関心は国際的な広がりを見せていた。

しかし、コロナ禍と能登半島地震の影響で、かつての賑わいは失われた。それでも「もっと定置網漁業について知ってほしい」という思いは変わらない。

35年間守り続けてきた漁場から、今日も富山湾へ船を出し続けている。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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